カスト・マゼルソンの手記 後編
さらに、マリアムネだ。彼女の死は不審で仕方がない。
帝政最後の年、僕は彼女の検死に立ち会った。実際には下っ端として見学に近いような形だったので、何も意見はできずただ見ているだけだった。検死の結果は熊に襲われたということになった。
だが、爪で勢いよく引き裂かれたような切創はなく、至近距離での銃創が一つだけなのだ。急所も外れており、まるでどこかで撃たれその後森に放置されたかのようだった。衣服ははだけていたが、衣服に熊の爪の痕はない。低温下では生体防御が働き内部体温が上がり、それを熱いと誤解して服を脱ぎ棄てた結果、凍死体が裸で見つかることがある。
彼女は撃たれた後も生きていて、動けない状態にされて森に放置された後凍死してしまったのではないだろうか。凍死体の死斑は鮮紅色になる。しかしそれをしっかりと見られなかった。仮定の域を出ないが、それから穴持たずの熊に亡骸の手足を荒らされたと考えられる。確かに、熊が食べやすいように服を剥いだ可能性もある。だが、熊が食い散らかした部分の衣服は引き裂かれた様子はない。そして、生きているときに襲われたとしたら、出血などの生活反応があるはずなのだ。つまり、衣服に銃創による出血以外の血痕が付くはずだ。だから亡骸を食べたとしか思えないのだ。
では、誰が彼女を殺害、いや傷害して森へ放置したのか。これは予想がつかない。ある人物を除いてだ。
それはメレデント政省長官だ。彼は帝政時代に民書官としてルーア皇帝の傍で腕を振るっていた。皇帝死後、後継者のいなくなったこの国を混乱に陥らせることなく、共和制に移行させた張本人だ。当時も人間とは無戦闘戦争をしていたが、政治の衰退のすきを突かれることなく鮮やかに共和制に移行させたことは素晴らしいと思う。その後の各省長官の任命は彼が行っていた。本来ここにマリアムネが入るはずだったのだ。
だが、彼女は殺されてしまった。彼女は役所勤めの時から共和制を訴えていた。いや、もっと前からだ。それこそ僕たち三人が学生時代のころ……、からだ。彼女の思考は素晴らしく、共和制への具体的なプランまでも考えていたのだ。卒業後はすぐ帝国民議会政策担当官補佐に就き、優秀な彼女はすぐさま出世しメレデント民書官の部下として腕を振るっていた。学生時代からのよしみで彼女は共和制についてよく話していて、部下になってからもその話をしていた。
だが、ある日を境にその話を一切しなくなったのだ。それはマリークを身籠ってからだ。僕は、実はメレデントに取り入るために、マリアムネは彼と不倫をしていたことを知っていた。シロークには言えなかった。言えるはずがない。
だがはっきり言えることは、マリークはシロークの息子であることだ。エルフは遺伝傾向が強く表れる。顔貌の相似度が高いのはシロークであり、遺伝的な物でいえば、メレデントは西方エルフであるウェストル系特有の眉の持ち主だが、マリークにはそれがない。その代わり、シロークの、北方エルフであるノザニア系の特徴であるウェーブ髪を強く出している。それだけははっきりしておこう。二人の名誉のためだ。
マリアムネは国政の中心へと歩むためにメレデントを利用しようとしたのだろう。しかし、美しく賢いマリアムネにメレデントはほれ込んだ挙句、痴情がもつれて、また彼女の考えた共和制へのプランを盗み出すために彼女を殺したのではないだろうか。
細かいことは分からない。だが、彼女亡き後に共和制となり四権分散が布かれたとき、そのプロセスは彼女が考えていたものと寸分たがわぬものだった。当時はみんなそうするのであろうと思い特に気にも留めなかったが、いつしかその類似性に疑問を抱くようになり、僕はそう考えるようになってしまった。
故にマリアムネを死に追いやったのは帝政支持者であるメレデント政省長官と僕は考える。
それにしても、学生時代、懐かしいものだ。思い出すとまだ甘酸っぱくなる。
かつて侯爵家の一族であった僕と、銃の販売でのし上がったギンスブルグ家のシロークとは最初本当に仲が悪かった。弱虫の癖に僕にだけは突っかかってきて、本当に腹が立つ奴だった。
思い起こせば毎日毎日喧嘩をしていた気がする。だが、僕の幼馴染のマリアムネは、その間を取り持ってくれたのだ。ライバルと言うと聞こえはいいが、シロークには何が何でも負けたくはなかった。それがいつしか友情に変わった。それがいつだったのか、もう定かではない。
それからも僕たちは日々を過ごしていった。三人でつるむことが多く、日々一緒に過ごす中で、特別な感情を抱いてしまうものだ。僕とシロークはマリアムネを取り合った。結局シロークにはかなわなかったけど。言っておくが、最初にマリアムネを好きになったのは僕だ。それは間違いなく言える。
だが、優秀な彼女はシロークを選んだ。「引っ込み思案過ぎてこれからが心配」だってさ。あいつはそんな男じゃない。誰よりも優しくて思いやりがあり、そして僕たちの誰よりも強い芯がある。だが、国を動かす仕事をするだなんていったときは僕も心配だったさ。
今思えば、彼女がシロークを選んだのはきっと彼がいずれ大物になると、どこかで予感していたのだろう。今度の金融長官選挙でどんでん返しをしてくれそうだ。
好きな女の取り合いでも負けてしまった。でも彼は僕のかけがえのない友人だ。
どうか、彼を傷つけずに一刻も早くこの真実を伝えたいものだ。
―――万が一、渡せなくなった場合、これを最初に読むのは、ユリナのあの部下であることを願う。
カストの手記はイズミへと宛てられたところで終わっていた。
グラントルアの空は低く垂れこめている。白い雲の下に灰色の房をいくつも落とし込んで、まるで空が落ちて来るようだ。穴の中に横たわるカストの棺は、明日にもひっそりと埋められる。誰が手向けたのか、季節外れの黄色いガザニアと紫のシオンの真新しい花束。寒々しい音を鳴らす風にその花びらをわずかに揺らしている。
日記は爆発で散ってしまった彼の、唯一遺された彼の温もりのあるものだ。その手記を棺の穴には入れずに上着のポケットへ仕舞った。これはまだ供えられない。遺品に価値を付けるのは気が引けるが、気持ちだけでは乗り越えられないほどの価値を持つ貴重な証拠なのだ。それにこれを手放してしまえば、彼の願いも手放すことになる。
そのせめてもの償いに、マリアムネの遺品を供えよう。
あちらに着いたら、私は元気だと伝えてくれ。
いずれ、私も行くことになろう。その時、君たちはまた学生時代のように迎え入れてくれるだろうか?
空を見上げると、白と灰色のコントラスは手を伸ばせば届いてしまいそうだ。
背後から足音がした。
限りなく音を立てず、それでいて驚かせないように気を使うその足音は、振り向かなくても誰のものかわかる。ジューリアだ。
「旦那様、雨は体に障りますよ」
「ジューリア、まだ降ってはいないじゃないか」
「かつて、おじいさまの葬儀で旦那様は雨に濡れて風邪をひきました。旦那様はどうやら雨男のようです。すぐに降り始めますよ」
ジューリアはそう言うとそっとハンカチを渡してきた。
「マゼルソンに呼ばれて遅くなると言っていたユリナとイズミ君の迎えを頼む。……強い雨が、いや今夜は雪になるだろう」
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