血潮伝う金床の星 第四十七話
寒い朝のことだ。嫌いになったはずの朝は、空が白くなる前に俺をたたき起こした。
窓からまだ暗い森を見渡すと、木々の先の東屋まで見通せた。そして、そこに誰かが座っている。俺は着替え、コートを着ると導かれるがままにそこへと向かっていった。
冬枯れの芝生はところどころ霜柱で盛り上がり、踏みしめるとざくざくと音を立て、脆い感触を靴越しに伝えてくる。
東屋の前まで来ると、その音に気が付いたのかそこにいた人はこちらを向いた。まだ寝起きの様子が抜けないシロークだった。前かがみになり、顔だけをこちらに向けている。
「早いな」
「イズミ君か。どうも寝つきが悪くてな」
彼の座るベンチの横に腰かけた。冷たい感触が脊髄を駆け上ると、目が覚めるようだ。なぜここにいるのか、なぜここで鬱屈とした表情で朝を待っているのか、それは言わなくてもわかる気がする。肺一杯に冷気を吸い込むと、冬の森の乾いた匂いで満たされた。
シロークは両手で顔を押さえて言った。
「すまない、な」
その言葉は覆われた手のせいでくぐもっていた。
謝らなければいけないのは俺の方のはずだ。それを口に出そうとして白い息が漏れた瞬間に遮られた。
「私たち候補者はあまり動けない。収賄は表向きには禁じられているから、選挙期間は評議員と会うと角が立ってしまう。だからユリナと君に頼りっきりになってしまった。しかし、こうなってしまうとはな……」
わずかに漏れた白い息が天に上り消えた。
「いや……」
まだ諦めるには早い、とは言えなかった。現状ではもうシロークの勝利は不可能だった。
「君の提案は実にいいものだったよ。しかし、私たちの読みが少し、ほんの少し甘かった」
「勝つために手段を選ばず、でも、できる限り強請るようなことはせずに、今後気分よく後ろをついてきてもらおうと言わけにはいかなかったな。相手にも戦略があって、強引だが血を流してでも票を得ようという強さで負けたのか。後で背中に銃を突きつけられても、国家の最高権力という、それを握りつぶせるほどの権力を持てるわけだから」
前かがみのシロークは体を起こすと、眼前に広がる森を見た。
「確か、君は以前、権力を得るために何をしたかではなく、得てから何を成したかと言っていたな。私たちもなりふり構ってはいけなかったのかもしれないな」
「風向きが変わった後にそれを聞くと、どうしようもない怒りも沸いて来るな。何をしてもいいのか、と嘆きたくなるな。虫がいいにもほどがあるよな」
そういいながら、俺は背もたれに後頭部を載せた。
「さらに悪いことに、得ることに失敗した者たちのしてきたことは、史上最大の悪行とみなされる。得た者たちがそれよりもすさまじいことをしていたとしてもな」
俺たち二人は静まり返った。
選挙に負ければ、これまでしてきた贈収賄はすべてすっぱ抜かれ、法の下で公正に裁かれるのだろう。その一方で強硬派の行った襲撃事件は闇に葬られて、永遠を待たずに消えていく。
そうなってしまえばギンスブルグ家は終わりだ。ユリナも任期を務めれば辞めざるを得なくなるだろう。
少しずつ、東の空が白んできた。星は眠り朝が来る時が来たようだ。
ヒッ、ヒッ、ヒッと朝一番のルリビタキが鳴き始めた。瑠璃色の背中をした鳥の鳴き声を静かに聞いていた。
俺は冷え切ってしまうと動かなくなりそうな体を起こした。
「マリークはどうする? 半ば彼を人間の魔法学校に通わせるために立候補したところもあるからな……」
「そうだな」というとシロークは息を吸い込んだ。「君が連れて行って魔法も教えてくれないか?」
「そりゃお断りだよ。あまりにも無責任じゃないか? 魔法を教えろというなら、それは引き受ける。だが、あんたのそういう、雲行きが怪しくなると家族を突き放そうする姿勢、俺は許せない」
「彼の」
「彼のためを思って、とか言うなよ?」
「では、どうすれば?選挙以降、立場を失くした私はマリークを苦しめるに違いない。敗残兵は自らが守った民にすら石を投げられるのだ。それに、まだ未来が長いマリークは魔法の才能は伸ばすべきなのだろう?」
どうしたものだろうか。確かに俺が連れて行くのも悪くない。日本にいる甥っ子を思い出すからだ。ただ、可愛いだけで連れて行くのはダメだ。ペットじゃあるまいし。家族は傍にいるべきなのだ。
「そういえば、あんたはどうするんだ?」
「私か。そうだな。田舎にでも引っ込む。ぜいたくを言わなければ食べてはいける。ブドウの栽培でもしてワイン農家でもやるさ。ワインが名産のイーストン地方に祖父の代から放ったらかしの広大な土地がある。40年前の戦争で貰った土地だ。ウィンストンが植物学にも詳しくてね。彼に教えてもらいながらのんびりやるさ。果たして彼はついてきてくれるか、怪しいがな」
「そうか。なかなかいいじゃないか。じゃ、俺とマリークはその農園まで自分の足で行って、移動魔法でどこからでもそこに行けるようにできたら、マリークに魔法を教えてもいいぞ。学校感覚で俺のもとに通わせる」
「……そうか。君は家族思いだな」
シロークはそっと微笑んだ。
俺は彼に尋ねた。
「この国はどうなるんだ?」
「さぁな。無責任かもしれないが、強硬派の考える未来などわからない。科学は確かに発展したが、魔法の前にはまだまだだ。人間側も魔法を発展させていることだろう。戦闘となればユリナが指揮を執ることになるだろう。負けはしないだろうが、国は瀕死になるだろうな」
それは共和国だけに限ったことではないだろう。連盟政府も大きな損害を受けるのは間違いない。
陽が昇り始めたのだろう。長い影を作っていた森の木々が白い湯気を上げ始めた。朝陽に揺らめくそれは乾いた木の臭いがした。影は次第に短くなっていく。
俺とシロークは何も言わずに立ち上がり、太陽を背にして動き始めた屋敷へ向かった。
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