血潮伝う金床の星 第四十五話
状況は悪くなっていくある日、ユリナのペンの音が響くオフィスで仕事をしているときのことだ。メレデントが突然面会へやってきたのだ。窓から見える正面玄関に国旗のエンブレムの付いたぎらつく黒塗りの要職専用車で乗り付け、人通りの多いエントランスでわざわざ受付をして、オフィスへ一報入れてからここへ訪れた。
普段は事前連絡もなしに顔パスのように裏口からずかずかと入り込んでノックもせず現れるのだが、その時ばかりは本来の面会の手順を逐一踏み、人の集まる場所を通り抜けるあたり、衆目を集めようとしている様だった。ユリナは強硬派と手を取ったとアピールでもしているようだ。
連絡を受けて数分後(遠回りしていたのか、長かった)にドアがノックされると、俺は少し乱暴に開けようとした―――が、取れかけのドアノブがいよいよ取れてしまうのではないかと思い、静かに開けた。すると、見慣れたシャープの眉毛の大男が笑顔で右手を挙げながら入ってきた。
「ユリナ・ギンスブルグ軍部省長官、よろしいかね?」
「メレデントのおっさんか。よく来たな。急になんだ?」
入って向かいにあるデスクに座って事務作業をしていたユリナは立ち上がった。
「君が方針を転換したのではないかと、風のうわさで耳にしてな。この辺りに用事があったついでに様子を見に来たのだ」
「ご足労なこった。まぁ座れって」
メレデントがソファに座ると、ユリナも彼の向かいのソファに座った。俺はめちゃくちゃ熱いまま湯気がゆんゆんと立つ、挽いた後に皮を飛ばさずに淹れたような驚くほど雑味だらけでマズいであろうコーヒーを二人の間のローテーブルに置いた。
そのコーヒーを見てメレデントは眉を上げている。さすがに臭いでわかるようだ。やり過ぎた。
「ここで話すのもなんだ。ディナーでもどうかね? この辺りにはムール貝の美味しい店があると聞いたが、モンタンに探させよう」
「クソ坊ちゃんもおいでなすってるのか。生憎だが、私はのんのんとランチ食いに行ってる暇ねぇ」
「ふむ、どうやら私は食事にはフラれてしまったようだな。ではここで済ませるとしよう。省舎内での盗聴などありえないからな。秘書の……、何と言ったかな?」
「イズミだ。外せってか?だとよ。外で待ってろ」
俺はユリナにちらりと見られると、思わず下唇を噛んでしまった。このままではユリナが強硬派に引き入れられてしまうのではないだろうか。そんな不安に駆られたのだ。
すぐに出て行こうとしないでいるとユリナは鋭く睨みつけてきた。
「あんだ? 不服かよ?」
「イズミ君、安心したまえ。君の尊敬する上官を殺したりはしない。すぐ済む簡単な話だ」
メレデントの微笑えみかけてはいるが目の奥ではゴミを払うような顔を見て、俺はしぶしぶ外へ出ることにした。
部屋を出てドアを閉めると、ドアの影にモンタンが現れて驚いて小さく飛び上がってしまった。最初から待っていたようだが、誰もいないのかと思うほど音と気配がない。姿勢を正して、どうも、と挨拶をすると一瞥だけくれてまた前を向いてしまった。
このモンタンと言う男、最初にこの部屋で会った時から数回ほど会ったが、何度顔を合わせても不気味以外の印象が思い当たらないのだ。その日も紺色のスーツを着ていてオールバックの黒い髪に色白の肌、細く切れ長の青い目。彼の持つ肌の色と目の色は、どこか最近、そう、屋敷の図書室でみたような……。
俺は彼をまじまじと見つめてしまっていたようだ。丁寧に肌の色を塗った石像のような男が突如動き出し、「なにか?」と言い始めたのだ。
「おっと、失礼。誰かに似ているような気がしたのでね」
「じろじろと見られるのはあまりいい気分ではありませんね」
「イズミだ。よろしく」
握手をしようと右手を差し出したが、彼は微動だにしなかったのだ。そして「存じ上げています」とだけ言ってまた黙ってしまった。
思わず差し出していた右掌を覗いて、やり場なく手を引っ込めた。それから数分間、ドアのまで二人で並んでユリナとメレデントの話し合いが終わるのを待った。
この男は、話をしていないとまるで何を考えているかわからない。話したところで理解できるか定かではない。冷え切った廊下で待たされている間、寒さすら感じていないのか微動だにせず主人を待っている。話しているとき以外はまるで生き物ではないようで、やはり不気味だ。
メレデントとの話し合いが終わったのか、取れそうなノブが二、三度回りドアが少し開くと「いいぞ。入れ」とユリナに呼び出され、ドアを開けるとにこやかな様子のメレデントが帰る準備をしていのが見えた。
モンタンはハンガーにかけていた彼の上着を取りあげ、メレデントの背後に立ちコートを広げた。メレデントは袖を通しながら「では良い返事を待っているぞ、ユリナ長官」と言った。それにユリナは「では今度会見を開きますので。ご協力のほどよろしくお願いいたしますね」と丁寧な言葉づかいで応えている。彼女の本心が見えないときの姿だ。
メレデントが帰った後、彼女の様子に変化はなかった。
それからもルーア・デイリー紙によるユリナのインタビューや強硬派支持団体の協議に応じるなど彼女は着々と強硬派への道を進んでいるかのように見えた。当然ながら話し合いの最中、俺は席を外すように言われ、何を話していたのかは全く分からない。
それに対してこれまで彼女を支持してきた和平派のスピーク・レポブリカ紙の彼女を批判する記事は熱を帯び始め、支持団体は毎日のように軍部省の前で抗議活動を行うようになった。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘・ブックマーク、お待ちしております。