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1806/1860

アトラスたちの責務 第十四話

スヴェリア大系は北公で国教となり、中央大系は改宗政策によりスヴェリア大系から強制的に改宗させた者が多かった故に、北公独立と共にスヴェリア大系に戻るものが多く、結果的に数を減らした。そこへ世界情勢が絡み、連盟政府内部で第三の派閥が復権の兆しを見いだして名乗りを上げて、同じく復権を企んだ教導総攬院(ドゥチェンス)によってまとめ上げられた。

これまで連盟政府において、宗教はあって無きが如しで、細々と信仰されて政治に対する影響力は皆無に等しかったが、現在の連盟政府ではそうではなくなった。


宗教改革によってもたらされた変化は金融協会の口座管理にも顕著な影響を与えている。第三派閥系団体の預金額は、ユニオン内で細々活動しているスヴェリア大系や中央大系の教団の預金額を改革後にあっという間に抜いた。ユニオンでは元々二つとも多くもないというのもあるが、今では群を抜いて多い。


三番手だけが有利になったような改革だが、改革が及んだのは彼らだけではない。


元々の二大宗教も曲解と例外を繰り返し、個人の価値観により変化した行いを伝統化した結果、様々な形に分岐していた。しかし、いくつかの信仰と三番手はまとめられ、崇拝対象の神は名前姿は違えど皆同一の存在となったそうだ。これまでの宗教観が緩かったからそのようなことが可能だったのだろう。今は全てが“督僧(とくそう)顕権(げんごん)真伝会(しんしんでんかい)”の一宗派となっている。教導総攬院はそれを国教と定め、そこの教祖が永年欠席だった教皇の座に座ったそうだ。教義に因れば、教祖は皇帝より偉く神と同等の存在であり、意図して姿を見ようと試みた者や妄りに名前を呼んだ者には災いが降りかかるそうだ。これまでの奇跡を見ることは幸運なことであると言う観念を覆す存在だそうだ。

先ほどまで顔を出していた者たちは第三派閥の代表として来ただけだ。


「私は何かを信仰していません。教義についてはどうでもいいのです。もちろん、ユニオン政府との兼ね合いもあるでしょう。ですが、私が尋ねたいのはもっとファンダメンタルな、人の道に反していないかどうかです」


「人の道か」と父上はコーヒーを深く飲み込み、ゆっくりと味わった後に口を開いた。


「先日のマルタン市長殺害および大統領暗殺未遂事件で、私やミラモンテス氏も殺されていたかもしれない。ミラモンテス氏は遅れたおかげで運良く逃れたのかもしれない。だが、少なくとも私は彼らの殺害対象にはならなかった。彼らがどれほどその得体の知れない神を崇拝し、金を崇める者を悪だと言っても、金は血のように流れるものだ。私は彼らの崇拝対象を認めたことはない。私にとって彼らは顧客なのだ。預金額も伊達ではない。銀行家としてこれを無視するのはいけない。例え寄付が如何なる形で行われていたとしても、私たち銀行家にとってその金は預金でしかない。止めることなど不可能だ。例えば、死が近づいた者を信者にして、その遺産を全て寄付させていたとしてもだ。

死が近づくと悲しいかな、判断力は鈍る。何にでも縋り生き延びたいとなるときが狙い目だそうだ。『死は避けられないが、神の側は幸せな国である。何を引き換えにそこへたどり着けるか、それは信仰である。ただ信ずればいいのだ。信ずれば永久に幸せである』と甘い言葉をかけて入信させる。そこに奇跡なんか無くても良い。依り代があれば良いのだ。それで僅かにでも安らぎを得られれば、感謝の意を示すと言って死にかけは寄付をするのだ。

死んでしまってもあの世には金は持っていけないからとそう言う行動に躊躇がない」



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