違う。お前じゃない。 第一話
「おーす元気ー?」
女神はいつも突然だ。呼び出される前後の記憶があいまいになるのは怖くて仕方がない。
今回はいったい何をやらかしたのだろうか、とこの場所で気が付いたときにまず考えるのが常態化している。
「俺、なんかやっちゃいました?」と脇汗びっしょりできょどりながら言う転生者は俺くらいなものだろう。
だがいつも通りではない。
ぼろぼろでダクトテープだらけのパイプ椅子でもなくキャスター付きの椅子でもなく、本革のソファとローテーブルがある。床は大理石が敷き詰められていてタバコの吸い殻も埃も見当たらない。テーブルを挟んで腰かける女神の顔はしかめていたりやつれていたりする様子はなく、むしろ少しうれしそうだ。ナチュラルメイクで服装もカジュアルすぎない。
怒られること以外に何が起こるのか見当がつかず、こ、こんにちは、とこわごわ挨拶をすると、
「元気……そうではないね。まぁそっかこの間からしばらく経つからね。ごくろうさん。あたしの名前わかった?」
とあっけらかんと答えた。どうやら怒ってはいない様子だ。それには安心した。
「ヘスティアーですか?」
「ブー、全然違う。思いつきでテキトーに言ったでしょ」
「実は何にも調べてません」
「うん、そうだと思った」
上司の名前を知らないのは失礼この上ないが、クイズの正解の答え合わせのために時間を割いて呼び出すほど女神は暇じゃないはずだ。じゃまた次までの宿題で、といい加減にあしらわれたのでどうやら本題は他にあるようだ。
「あの、今日はいったいどのようなご用件でしょうか」
するとコンコンコンとノックが暗闇の中から聞こえた後、失礼しまーすと声がしてショートヘアーの女の人がお盆に何かを載せて明かりの空間に入ってきた。湯気の立つマグカップを二つローテーブルに並べると、小さくお辞儀をして失礼しましたと再び暗闇の中に消えて行った。
この空間で初めて女神以外の人を見たのは二人目だ。だが今までとは違い、オリーブ色のタータンチェックの入ったベスト、ピンクのリボン、白い長そでブラウス着ていて、一見すると事務員で女神たちの服装とは対照的にかなり地味だ。何ごとかと入ってきた時点からあっけにとられて彼女の動作を一部始終目で追いかけてしまった。女の人が出ていくところを確認すると女神はやや潰れかけたタバコの箱を出したがすぐに手が止まった。
「ここ禁煙なのよね。とりあえずコーヒーいかが? ハワイコナ女神ブレンドよ」
謎の女性の登場に驚いているのを意にも介さず、向かいのソファにふんぞり返って座る女神が背もたれにかけた右手の手のひらだけこちらに向けて促した。
熱いものは苦手でいわゆる猫舌の俺はどうも、といい口だけつけて飲んだふりをした。唇に触れるコーヒーはやはり熱くすぐには飲めそうではないが、鼻の奥を香り高いアロマが通り抜ける。
女神も一口飲むとマグカップをテーブルに戻した。
「じゃあ本題行こうか。まずはおめでとう」
「何がですか?」
聞き返すと女神は見たこともないような満面の笑みを浮かべ、「何だと思う?」と言うと体を前に乗り出した。
「実はあなたに来年度から賢者をやってもらいます!」
「はぁ」
そうなのか、また職種が変わるのか。またこの人は書類が面倒臭いとか、人事部が嫌いとか言い始めるのだろうか。
長い話が始まるのか、とさっきよりも少し冷めているだろうコーヒーを飲むためテーブルの上のマグカップに手を伸ばした。
飲めそうなので飲んでみると、酸味とコクが深くておいしい。そういえば、だれか友人がコナコーヒーは鳥飼の瓶に入れて保存するとおいしくなるとか言っていたな。と完全に人の話を聞き流す姿勢になってしまった。
「あ、あれ? もっと喜ばないの? 名誉職だよ?」
女神はズッコケる仕草を大げさにした。さすがにその姿を見ていい加減にうんうんと空相槌するのは間違いなので、適温になったマグカップを両手で包むようにもち直した。
「こちらに移ってきて一年もたっていないので、何が偉いとかいろいろわかってないんです」
女神は足を組み、そして右手を顎に当てしみじみとうなずいた。
「そうよねぇ。異例の出世スピードですものね。まぁでも偉くなる人って若いうちから何かしらあるもんよ。賢者ってのはさまざまな職種のテッペンよ。もちろん勇者なんかよりもね。魔法も戦闘も自由自在! その分伴う責任も大きくなるけどね。地上だと僧侶が人気なのは知ってる? 最近は実践的な医学もやり始めていて、信仰はそこそこにをあんたのとこでいう西洋医学を中心にしてやり始めているみたい。今まさに医学の黎明期ね。それがまた儲かるのよ。だから人気なの。何が言いたいかと言うと、賢者は魔法使いに僧侶と不人気職ナンバーワン錬金術師を足したような感じね。普通なら三師履修後になれるんだけど例外ってやつ。魔法使いと違って副作用ないから好き放題ヤレるわよ~。もしかした今まで蓄積したモテ期が暴発するかも」
最後の言葉は聞き捨てならない。しばしば下品なことを言う女神だがそういった意味ではないと解釈して聞いていなかったことにしておこう。西洋医学を扱い始めた僧侶と不人気職の錬金術師に30歳まで童貞の魔法使いを合わせた賢者と言う職種は一体どれほどの物だろうか。僧侶だけがひときわ存在感を放っているような気もしない職種だ。
そして俺は火の粉しかだせない魔法使いだ。勇者から魔法使いにされたときに力はそのまま維持されていたことを考えると賢者になったとしても基礎的な強さは高くないだろうから、やはり実力でスキルアップしていくか敵をぶん殴り続けるしかなさそうだ。しかし、勇者より偉くなるのは何とも言えない嫌な感覚がある。強さもない状態で立場は上なのだ。
思い浮かぶのはあの人の顔色だ。そのような心配をよそに嬉々として女神は続けた。
読んでいただきありがとうございました。