深淵の先 第十一話
「シバサキ支柱司長殿。ご機嫌やう」
大きなガラス窓の前に立つ手すりの側で腕を組み、ガラスの向こうで行われている実験を注視しているシバサキに上ずった声と作り笑顔で声をかけた。
「何のようだ。僕は忙しいんだぞ。最近何もかも上手くいかないのはお前たちが悪いんだ。言われたとおりのことも出来ないから失敗ばかりなんだよ。お前たちのことなんかもう知らないぞ」
実験室から漏れる光で顔を青白く照らされたシバサキは私の方に顔を向けずに、やや早口でそう言った。
私などには興味が無いのだろう。
この男がマルタン事変の最中にアニエス陛下を殺そうとして動かしていたヴァンダーフェルケ・オーデンを止めたのは、ムーバリと他でもないこの私だ。相容れない私たち二人が力を合わせて、この男の目的を失敗に導いたのだ。
……目的? そういえば、何の為にこの男はアニエス陛下を手にかけてしまおうとしたのだろうか?
今となってはそれもどうでもいい。
失敗という、思い通りにならないと誰彼どこそこ構わずに切れ散らす原因を作り出したにもかかわらず、咎める様子が全くない。
騎士団員たちは新しい指揮官であるヘルツシュプリングに首ったけだ。彼は魔法対魔法の戦闘では抜群の成果を上げる有能な指揮官だ。裏切り者であろうとも、人格的に問題があろうとも、その素晴らしい指揮に裏打ちされたカリスマ性がある。
騎士団員たちにとって、一番に、そして抜け漏れなく報告すべきこの上司などもはや眼中になく、私が騎士団とマルタンでやり合ったことは報告するつもりもないのだろう。
知らないなら、それはそれで話を進めやすい。なだめすかす手間が省けた。
この男を厄介なヴァンダーフェルケ・オーデンから引き離しておくにはヘルツシュプリングがいてくれた方がいいようだ。それでも排除しなければいけないというのは残念なことだ。
尤も、それは私個人の感情によってだ。そして、どれほどの個人が私と同じ感情を抱いていたとしても、ヘルツシュプリングは排除しなければいけないのだ。個人が多であれ、任務を無視してはいけない。
それにしても、ブリーリゾンにある聖なる虹の橋のオフィスのさらに下に実験施設を作るなど、傍迷惑なものだ。変形しやすい粘土質の地盤だというのに。
サント・プラントンのある教皇領は聖地であり実験施設は作れないから、ギリギリ境にあって尚且つ地下トンネルで繋がっているという理由でこんな、迷惑なところに作ったらしい。いつぞやの占星術師たちの件で、危ない実験で何か起きてもサント・プラントンが吹き飛ばないようにしたいだけだろうに。尤も、サント・プラントンが吹き飛ぶような規模の魔法など研究しても作れないだろうに。
いや、実験に失敗してブリーリゾンが吹き飛べば、それは領主たるシバサキの責任になる。ならいっそ、吹き飛んでしまえば良い。もちろん、私が任務で外に出ている間にでも。




