深淵の先 第九話
スティリグマ殿には伝えなかったが、私の奥歯のさらに奥に詰められている自害用のマジックアイテムはニセモノだ。
共和国軍部省長官であるユリナが私に手伝ってくれたお礼と称して、口の中に無理矢理放り込んだものだ。魔石は魔石だが噛みつぶしたところで何も起きず、砂のように消えてなくなるだけだそうだ。
彼女が何故私にこのようなものを授けたのか真意は不明だが、今この場で役に立った。
もしかしたら、この出来事もユリナの思った通りなのではないだろうか。
私は彼女に対して、個人的にも政治的立場においても非常に嫌悪を抱いている。この魔石はニセモノだと偽って渡してきて、信じ込ませた挙げ句うっかり使って私が死ぬのを期待しているだけかもしれない。だが、そのような排除の仕方を私にしてくるとは思えない。
元々自害用の魔石であり、機密の保持や拷問、誇りを辱められるときなど、自ら命を絶たなければいけない場面で使用するものだ。それで死ぬことが出来ないことの方がむしろ問題なのである。ニセモノで機能しないということをわざわざ伝えてくるのは意図があるからだ。
彼女は私に死ぬなということを示したと考えられる。私は彼女にとって都合のいい駒たり得るからだろう。
敵の中で動かせる駒。つまり、私は獅子身中の虫となったわけだ。
だが、私はそれによって、死んでたまるものか、と自らが思っていることに気づかされたのだ。そして、大いなる力によって生かされることにむしろ喜びさえ覚えた。
なぜか。ただ醜くなってでも生きながらえたいと言う生存本能だけではなく、彼女と私はおそらく同じヴィジョンを持っているのかもしれないからだ。
彼女と初めて会ったのは黄金捜索の途中、クライナ・シーニャトチカでの集会だった。しかし、そのとき彼女はシバサキに憎悪を向けるばかりでろくに話す機会も無かった。
その後、“紅の魔女皇帝計画”遂行中、マルタン事変の際に闇の中で幾度となく顔を合わせた。
計画の進捗状況を伝える中で考えが読めるような気がしたのだ。レッドヘックス・ジーシャス計画自体の成功は聖なる虹の橋の目的であり、私自身の目的はさらにその先にあるものを常に考えており成否は“あわよくば上手くいけば良い”程度の認識でいた。
そして、ユリナの話の中にも計画そのものではなく、そして単なるルアニサム排除よりもさらに先があるように話をしていたのだ。
結局、私は帝政思想排除に利用されただけであったが、ユリナに対して失敗の怒りを向けようとは思わないのだ。
聖なる虹の橋と、ひいては連盟政府との目的の乖離がちらついていたからかもしれない。
(それを支柱長には勘づかれているようだ。おかげでネチネチと言われてしまった)。
しかし、怒りを向けようとしないこの感情は、それだけでは説明が付かないのである。
私と彼女の描く結末は、同じ。だから私に死ぬなと足枷を着けたのだ。




