鵰の飛翔 最終話
――これはマルタンでの一件、後世での呼び方で言えばマルタン事変の直後の話だ。
マルタンの件は、物理的な距離やイデオロギーの違いなどにより北公ではあまり騒ぎにはならなかった。
その間にも、確かに連盟政府との戦闘は相次ぎ、停滞していた南部戦線は熾烈を極めていた。
だが、それもその頃には当然のことになりつつあり、誰しも驚くことはなかった。
これから北公は戦闘機を作り、魔力が強い者たちをパイロットとして集め、アインへルガーの指導のもとで航空戦闘力を徐々に増やしていくことになる。
だが、実戦投入可能な段階に至る前に世界大戦は始まってしまった。
連盟政府は突如、北公とルスラニアを国家として承認したのだ。しかし、それで戦闘が収まることはなかった。連盟政府は「北公の支配地域にて連盟政府市民として生きていた民族が抑圧されている。その解放を目的とした武力を行使する」といって戦闘を継続することにしたのだ。
本来であれば、連盟政府の首都であるサントプラントンへ到達し、連盟政府に北公を国家として認めさせれば終わると思われた戦いだったが、予想だにしない時点で国家承認をしたために泥沼化することになるとは私も思っていなかった。
それでも北公にはどこかに余裕はまだあった。
このまま停滞した戦線を守ることに変わりはない。北公はカルル閣下の考えに賛同した旧シュテッヒャー領南端と戦闘開始後に北公に新たに加わったいくつかの自治領までを守りつつ、落とし所を見いだすだけの戦闘となっていく。
兵士たちの間に厭戦ムードが高まったり、その一方で連盟政府そのものへの侵攻論を唱える将校たちが防衛ではなく攻撃に出ろと過激になったりもした。
しかし、実際の所、厭戦ムードも侵攻論もバランスがとれて極端にどちらかに走ることはそれまで無く、そのときの天秤も大きく揺れた後に互いに高さを保ち止まった。
全ては何も変わらない戦闘の日々が続くかと思われた。
だが、北公にとっての本当の受難はそれからだった。
クラクションを鳴らすのをやめて、アクセルを踏んで加速し、少し残った人集りを迂回するようにハンドルを切って進んだ。
閣下は「ああ、それから」と思い出したようにルームミラー越しに目を合わせてきた。
「例の森の方はどうなった?」
「然るべきところに依頼してありますので、ご心配には及びません」
「さすがに手が早いな」
ハンドルを切りノルデンヴィズ指令部へと向かった。
これから起こる悲惨な出来事など考えもしないほどに天気の良い日だったのをよく覚えている。




