秋霖止まず 第六十一話
「認めるわけ無かろう。それを伝えた直後に自らの爪を剥がして出た血で『自分は異教徒・無神論者を殺した殉教者となる』と壁に書き残して首を吊っていたそうだ。殺しが人の道に反しているとかいいながら、自らは自分さえも殺して殉教者気取りとは都合が良いにも甚だしい。言ったことは言わせておけばいい。
しかし、厄介なのはこれからだ。死人に口がないのを良いことに、都合良く拡大解釈をして利用しようとする輩が出てくる。連盟政府は宗教弾圧をしたと言いがかりを付けるだろうな」
「メディアも挙って動向を記事にしていた。逮捕から罪が確定し、やがて自殺したことまでも全てを報道していた。あえて目立つように行動しているとしか思えなんだ」
ルカス大統領は鼻をふんとならすと腕を腰に当てた。迷惑この上ないのだろう。
「それについて、あなたには報告しておこう。一度は容疑者として挙げられたのだから。後は我々で処理する。報告は以上だ。今日はなかなか忙しい一日だったのではないか? 明日からはまた民議会に参加してもらう。今日のところはしっかり休んでくれ。そういえば息子たちも帰ってくるそうだ。パウラが何か美味しいものを作ってくれるのではないか? 夕餉には今日は間に合いそうだ。一緒に食べようではないか」
ルカス大統領は切り替えが早い。私もここにいては仕事の邪魔だろう。
「本日はお先に失礼させていただきます」と言うと右手を挙げて私を見送ってくれた。執務机の角に置いてあった書類ケースから先ほど秘書に届けられた書類を持ち上げて仕事を再開しようとした。背中を向けると同時に「アニエス陛下」と私を呼び止めた。
「もう一つすまない。よろしいかね?」
「構いません。何でしょうか?」
「明日の民議会の資料が届いている」というと、右手に持っていた紙束を掲げて見せてきた。
「議題内容があなたの帝位についてだ。体調不良と言うことでこの二日間、民議会でマルタン事変関連の項目を一時的に停止していたが、明日から復帰と言うことで早速話し合われるようだ。これまで責任を問う上で必要であるから手を着けなかったが、いつまでも放ったらかしというのはマズいと判断したのだろう。
一応現時点でのあなたの考えを聞いておきたい。あなたは自身、どうしたいかね?」
「今すぐに帝位を放棄します――」と即答するとルカス大統領は面食らったような顔をした。
「というのは無責任でしょう。まだ兵士たちは捕虜として収容所にいるのですから。彼らを含めたマルタンにおいて亡命政府に集まってきた者たちの行く末が決まるまで、私は帝位を放棄などしていい訳がありません。明日の議論で私の進退よりも私以外の処遇を決めましょう」
「即答したから何かと思ったぞ。驚かせないでくれ。元顧問団に会って心境の悪い方の変化でもあったのかとギョッとしたぞ。
あなたは素人だが、覚悟は立派だ。ユニオンでの司法的な判断の後に、共和国でも裁きを受けるとことになろう。そのときユニオンはあなたの擁護を約束する。あちらで無罪放免とはいかないだろうが、力を貸そう。とにかく、明日からまたよろしく頼むぞ」




