勇者(45)とその仲間 最終話
灰皿でウィスキーを飲まされてから一夜明けた朝、俺は集合時間に遅れてしまった。
シバサキは昨日のことなどすっかり忘れているかのようにふるまっている。いつものことだ。
「ダメだよ。新人くん、時間にはきちんとしていないと。キミは若いけどもうプロなんだから」
カミーユが舌打ちをした。時間にうるさい彼女だ。きっと遅れたことに対して怒っているのだろう。
それからと言うもの、何もしない、できない一日が去っていく。
シバサキは毎朝会うたびに「よっ、新しい魔法覚えた?」と聞いてくるようになった。まだです、という返事をするとシバサキの顔は一瞬無表情になり、そうか残念だなぁと笑顔になる。
カミーユの冷たい視線が終始注がれているような気がする。集合時も移動時も戦闘中も。
もう話しかけることなどできない。
レアは相変わらずだ。でも、きっとどこかで冷たい感情を向けているに違いない。
二人にどれだけ冷たい感情を向けられていても、憎悪や嫌悪はわかない。
無能な俺が足を引っ張っていることに対する罪悪感が感情のすべてを覆っているから、それ以外が出てこない。
何もせず、いるだけで、罪悪感だけを感じて、一日が終わる。
そして日が昇ればまた同じことの繰り返し。
“申し訳ないんだけどもう少しシバサキたちと一緒にいてくれない?”
“今回は借金ですね。でも、今回は期限も利子も設けません。”
女神との約束とレアへの恩義だけが毎朝重たい背中を押してくれた。
最初のうちはやさしく背中を押してくれた。しかし時がたつにつれそのぐいぐいと押し寄せてくる義務感につぶされそうになった。
「イズミ、気にしなくていいと思います。最初はだれだって弱いものです」
珍しく晴れた夕方、シバサキがタバコでいなくなり冷えきった石に腰かけていた時だ。カミーユが話しかけてきた。
もうこのチームに入って三カ月以上経つのにいまだに『最初』や『初心者』という免罪符を掲げて生きていることに嫌気がさしていた俺にその言葉は内臓を握りつぶされるような苦痛を与えた。そのときまで口を開かなかったカミーユからもついに三行半をもらうのかと辛辣な顔をして彼女を見返してしまった。
その顔を見るなり、彼女は少し驚きすぐに何かを理解したのか、言葉をつづけた。
「と言っても今のあなたには文字通りの意味では受け取ってもらえないでしょうね。あなたがここにいる限り強くなるまでは我々であなたを守ります。確かにそれは強くなれる保証もないし、足手まといなだけだと思われるかもしれません。少なくともうちのリーダーは足手まといだと思っているでしょう。でも安心してください。あなたは強くなります。弱いままならもう死んでいるはずですから。レアと私は違います。どれだけあなたが弱くても、あなたは大切な仲間なのです。同じチームになった以上、仲間を思いやるのは当たり前のことなのです」
同じ石の隣のスペースにそっと腰かけて話を続けた。
「あなたは橋で私を助けてくれましたね。覚えていますか。なぜあなたはそんなことをしようとしたのか、自分自身のことだからわかりますね。私たちの戦いは競技ではありません。いついかなる時も生死が付きまといます。それに命を懸けてお金をもらっているのです。いざと言う時はあれでいいと私は思います。そのおかげで私は今ここにいられるのですから。だから、誰かのくだらない設定に無理に合わせる必要はないです。あなたはあなた。それだけです」
普段口数の少ないカミーユがこれほどまでに饒舌にしゃべるのは不思議だった。
もしかすると話をするのは好きなのではないだろうか。決して楽しい話ではないがなぜだかもっと聞いてみたいと思った。
「カミーユさんはやめるっていうのが口癖だと聞いていたんですが、そんなことないですよね?俺は一度も聞いていないです」
どうしても話がしたくてとっさに考えた話題がこんなものでしかなった。聞きたいことはたくさんあったけれど、どれも言葉にできなくて唯一形を成したのがそれだけだった。
「そうですね……。少し前まではレアに毎日のように言っていましたね。ですが、あなたが来てから言わないようにしていました。あなたは私の後輩にあたるわけです。そんなことを言う先輩にあなたは付いていきたいですか? それにしても一体誰がそんなことを、いいえ、言うまでもないですね」
失礼なことを聞いたのに何も躊躇することなく答えてくれた。
「そうなんですか」
しかし、なぜかありがとうが出てこない。答えてくれたことに対してではない。
彼女は本当にやめたがっているのではないだろうか。
そのような状況で俺が入ってきてしまったことで後輩ができ、その後輩に気を配ってやめる機会を失ってしまったのではないだろうか。
それを無視していけしゃあしゃあと感謝の言葉など言えるはずもない。
石から立ち上がり背を向けたカミーユは、
「あなたが思っていることの多くは、あなただけが思っていると思わないでください」
と言った。
『あなたの思っていること』はいいことばかりではない。ほとんどが自己嫌悪だ。
おそらく彼女は励ましてくれた。それを素直に受け止めて、その言葉には背中を押すという意味ではなく、寄りかかってもいいということだろうと願う。
話を終えた彼女の背中は優しく、いつもの冷たい壁のような姿はどこにもなかった。風が吹くと長い髪がさらさらと揺れ、久しぶりに晴れた夕焼けにキラキラと輝いている。
だから、やめるのも時間の問題だったけれど、その時間がほんの少しだけ伸びた気がした。