秋霖止まず 第四十四話
「非常に厄介な事態になりましたね」
「誰が選挙などと言い出したのだ。混乱期に選挙などしたくないぞ」
ルカス大統領は朝から苛ついた様子で、ダイニングのテーブルに指を打ち付けていた。
この日の朝食会議には私も前向きだった。ことが起きてから前向きになるなど虫が良すぎると思われるかもしれないが、マルタン市長を助けることが出来なかった責任を感じておりそうならざるを得ないのだ。
議論はブエナフエンテ家のダイニングから大統領府への出勤によって一時的に中断されたが、ルカス大統領は執務室で私を待ち構えており、遅れて到着するや否や早速話の続きを始めた。
「誰かが混乱に乗じて立場を得ようとしているとも考えられますが、以前共和国で、選挙は混乱期に起きた方が皆保守的になる、という話を聞きましたね」
「確かに、それはあるかもしれないな。だが、それは現政権が有権者の信頼に値する場合だけだ。結果が大逆転し、それこそ革命のような形になることもあり得る」
「大統領は政権運営に自信が無いのですか?」
「そういうわけではない。私自身も民議会も、市長が殺されて動揺が起きて議論は尽きないが、問題なく回っていると感じている。あくまで私がそう感じているだけだが。政治家は表面は自信家でなければ市民は付いてこない。だが、自信を際限なく持てばいいというわけでは無い。過剰な自信は過信、やがて自己神格化に繋がる。そうなればさらにそれを維持する為に君主のような振る舞いをしなければいけなくなる。独立したのにそれでは元も子もない」
「ならば皆保守的になりますよ。副市長が有利だと私は考えます」
「マルタンは商業地区だ。有権者の多くが商業に従事しているので、非常にリアリストが多い。保守的な思考であったとしても、まず自らの財務に基準を置いているはずだ。相手側候補もそれを知っているのだろう。一部軍縮とも取れるマニフェストがあるが、それ以外は商業者としては非常に魅力的なことを並べているのだ」
「マニフェストはあくまでマニフェスト。釣り針ではないとは言い切れないと思います。リアリストであるならば、釣り餌が魅力的であればあるほど本当に実行出来るかどうか怪しいということなど、さすがに分かっているはずです。私からのていあ……」
ルカス大統領は右掌をさっと前に出すと「アニエス陛下、黙れ」とむすっと口を結んだ。
「あなたは何やらご意見番のように色々と言いなさる。確かに助言としては有益なものも少なくない。だが、一応、あなたはユニオンでは勾留中の身だ。少しばかり自重していただこう。それに、あなたたちはかつての共和国金融省長官選挙で何をしたのか知らないが、ここではそうはいかない。我々は重商主義国家であり、時には法律によって別の名前が付けられた収賄が正当化される社会だが、それでいて開かれた民主国家だ。贈収賄を否定しつつも、それで成り立つ専制政治の何倍もの罪が問われることになる。すっぱ抜かれて私もここにいられなくなってしまう」




