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血潮伝う金床の星 第二十九話

 容態が落ち着いたのを見計らって、ユリナとシロークは運び込まれたときにどんな状態だったかを説明してくれた。


 マリークは無傷だったが、路地裏を這いずり回ったので土と埃でだいぶ汚れていた。車から降ろされても、軍服の背中をしわくちゃになるまで握りしめて俺を放そうとしなかった。それからカミュに引きはがされ連れていかれた後も会わせろと言い続けているらしい。ときどきドアの外から彼と思われる声がする。ありがたいことにずいぶん彼に慕われているようだ。関係者以外のこの部屋への立ち入りは禁止されているので、彼にはまだ会えていない。


 ジューリアさんはすべての女中に指示し、屋敷中に厳戒態勢を敷いたそうだ。それまで見慣れていたクラシカルなロングスカートだがフリフリで可愛らしいメイド服を着ていた笑顔いっぱいの女中たちは、ギンスブルグ家の敷地内の森の色に合わせたまるでそこでの戦闘を想定したかのような迷彩服に変身した。

 そして、魔法射出式小銃を携えて一様に眼をぎらつかせながら番犬のごとく敷地内を闊歩している。列をなして行進する姿や壁際に五メートル間隔で立つ見張りの様子は、例えるなら転覆をはかられた王宮内部の窓からの眺めのようだ。


 治療に当たった医師たちの話では、銃弾は肩甲骨で止まっており、非常に取りにくい深さまで食い込んでいた。傷は外側からの見た目こそ大きくないが、鎖骨にヒビも入っており、決して軽症ではないそうだ。だが、幸いにも致命傷になりうる鎖骨下動脈に傷をつけていなかったらしい。治療が終わると医者たちは帰り、これから毎日朝夕二回、様子を見に来るそうだ。


 血もだいぶ出ていたが輸血はしなかったようだ。エルフから人間への輸血は、体質的に違いはないので不可能ではないが前例がないらしい。そして黙って輸血しては名誉にもかかわるかもしれないとのことだ。そもそも適合者もいないのでどうしようもないのだ。血が足りないとめまいが収まらないのでつらい。

 説明が終わると、シロークとユリナは騒動の収拾を図るために少し出てくると言って部屋からいなくなった。そこには俺とククーシュカ以外、誰もいなくなった。



 それから数十分、彼女はベッドの傍にある椅子に無言で腰を掛け続けている。そして、黙々と武器のメンテナンスを続けている。これまでもときどき見かけていたエメラルドグリーンの短剣を綺麗にできたのか、天に掲げてきらりと光を返していた。それはどうやら彼女のお気に入りのようだ。


「ずっと看てなくても、大丈夫じゃない?」

「必要な時に傍にいたほうがいいと思うけど」

「じゃあ、コーヒーを。ブランデーをたっぷり入れたやつ。それかPCAポンプ」


 されると思ったが、やはり無視された。貧血のめまいを酒酔いで誤魔化したいのだが。

少し呆れたような表情をしながら、短剣をコートへと仕舞っている。


「やっぱり言った通り、マリークが狙われたね」

「犯人が捕まったわけではないから確定ではない。けれど、彼を狙った犯行だと思う。おそらくマリークは殺されることはなかっただろうけれど、あなたは殺されていたかもしれない。あなたの存在とギンスブルグ家との関係性を認知しているのは各省上層部が中心で、知らない人がほとんど。襲撃者側からしたらただの護衛ぐらいにしか考えていないはず。もし仮に殺されていたら、死体ごと綺麗に片付けられて証拠もなくなっていた」

「物騒なこと言わないでくれ……。マリークを誘拐してどうするつもりだったんだ?強硬派を名乗って人質の取引をしたら、それこそ評判が悪くなると思うけど?」

「実行犯自体は強硬派ではないことにして、人質を解放するために強硬派が動いて積極性を示して、解放に導く代わりに出馬を取り下げるなりの条件を突き付けてくる。要するに恩着せ。言わなくてもわかると思うけど、実行犯は強硬派の息がかかっている連中。人質は使いよう、いかようにも使える」


 少し違うかもしれないが、マキャベリズムのような気がする。

 だが、これから国家を作っていく子どもを巻き込んでいる時点で国家の利益から離れ始めていくと思う。そして、いずれその子どもが大人になって国家に銃口を向けるかもしれない。そうなったときはまた手段を選ばずにただ排除するだけなのだろうか。


 俺は何も言わずに天井を見ていた。すると彼女は立ち上がって金属製のキャスターの付いた棚の傍へ向かった。そして背を向けたまま、「でも、生きて帰ってきてくれたのは良かった」と囁くように言った。心配してくれたのだろうか、少し意外だ。

 戻ってきた彼女の手には大量の包帯が抱えられていた。


「ほとんど外に出ないでこんなに長い間何もしなかったのは初めてかもしれない」

「暇? 夏に来てもうほとんど冬だね。三か月近くこの一帯から出てないのか」

「時々アレで家には帰っている。でも、ここはいいところね。屋敷の広い庭も散歩すると気持ちがいい」


 話しながら時々鼻を触っている。

 もっと感情も何もないと思っていた彼女がそんなことを言うとは思わなかった。冷たい言い方だが、暗い世界で日々のために仕事をしていた彼女にとって自然の美しさなどもはや目にも映らないのかと思っていた。俺はどうやら誤解していたようだ。


「意外だね。まったり過ごすのは嫌い?」

「嫌い、ではないけれど、これまでほとんど毎日武器を振り回していたから」

「落ち着かない?」


 鼻を触っていた手が止まると、驚いたように黄色い目を見開いてこちらを見ている。


「なぜわかるの?」

「いや、わからんやついないと思うけど」

「そう言う風に返ってくるのは初めてかもしれない」


 部屋の時計をちらりと見ると、ベッドに膝で乗り腰に手を回してきた。そしてぐっと抱きかかえられた。


「ちょ、ちょっと、なにするの?」

「少し体を起こしてもらわないと、包帯が取り替えられない」


 青いつむじが目の前で動いて、色に似合わず甘い匂いがして鼓動が高まる。しかし、同時に痛みが走る。するすると包帯をはがされると、まだ生々しい傷が露わになった。自分で見るのも嫌なくらいにまだ赤々としている。


「すごい傷、小さいのにあれだけのダメージを与えられるなんて……」


 彼女が左肩に顔を近づけると、鼻からの吐息が当たり息遣いを感じさせる。冷たい人差し指で傷のあたりをそっとなぞられた。ここで動いてしまうとますます痛みが大きくなりそうなので彼女にすべてを任せることにした。彼女は濃い赤茶色の液体の付いた綿をピンセットで取り、傷口の周囲を軽くたたくように消毒し始めた。それに集中する彼女の眼は寄っていて少し可愛らしかった。


「そういえば、暇なこのところなにしてるのさ?」

「誰も話しかけてこないし、話しかけてくるのはあなたぐらいで、そのあなたもほとんどいないから」

「何にもしてないわけか……」

「そうね。今回みたいな緊急事態が起きないと暇ね」



 消毒が終わると綺麗な包帯を巻き始めた。言葉数も表情が少なくても、彼女は優しいのは分かる。治療中に握っていた手はおそらく彼女の手だろう。

 綺麗に巻きなおされた包帯を見ているとすぐにでも治りそうな気がした。


「できるならずっと暇だといいね」


 そして、ありがとうね、とお礼を言うと、何も言わずに背を向けて棚に道具を戻しに行ってしまった。

読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘、お待ちしております。

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