秋霖止まず 第二話
私とイズミさんはダムを直しきることが出来た。亀裂は完全に無くなったことでダム湖に起きていた渦や大波は収まり、マルタン丘陵の深く静かな森の中に佇む大きな水甕に戻っていた。静かな水面には、雨粒によっていくつもの波紋が出来ている。
雨は地に降り、塹壕の兵士たちの足元を伝い流れてダムに入り、これから溜まって元の水位に戻るだろう。ダムの見た目は元通りだが、すぐにでも作り直した方がいい。
イズミさんはユニオンの衛生兵の担架に乗せられてどこかへ運ばれようとしていた。
いなくなってしまう前に担架の頭の方のすぐ側に立ち、様子を確かめた。
吐き出したまだ赤さと鉄の匂いの残る血と、これまで浴びてきたり出してきたりした黒い膠のような匂いのする血にまみれている。だが、意識ははっきりしているようだ。
「大丈夫ですか?」と呼びかけると右手を震えながら挙げて「ああ、多分大丈夫」と返ってきた。市中警備隊の服は綺麗な鶯色だったはずだ。それがほとんど見なくなるほどに赤と黒くなっていて安心していいわけではないが、これまで何度もこういう機会に遭遇してきた私は慣れていたのかもしれない。
「あんまり近くで覗き込むなって。胸で顔が見えないよ」と笑いかけてきた。イズミさん自身も怪我をすることになれているのだろう。冗談を言う余裕が見える。
「馬鹿なこと言わないで」
「俺は大丈夫だから」ともう一度どう言うと、降りしきる雨を避けようともしないでうなだれている亡命政府軍の兵士の方へ首を動かした。
「アイツらを何とかしてやれよ。前を向かせられるのはアニエス、君だけなんだ」
そして、笑ったまま目をつぶってしまった。さすがに疲れてしまったのだろう。意識を失ってしまったようだ。
担架を担いでいた兵士に「アニエス、えーと、陛下とか言ったな? 話はすんだんだろ? 重傷者の搬送するから移動魔法を使わせろ」と怒鳴るような声で乱暴にまくし立てられた。
その兵士は泥にも煤にもまみれておらず、銃も携行していない。
肩に付いているワッペンを見ると、白い背景に赤い線が三本描かれ、その上に重なるように雛を温めるアホウドリが描かれていた。ユニオン軍衛生兵のシンボルだ。
「亡命政府軍にも重傷者がいます。同等の扱いをしていただけるなら、すぐに開きます」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 陛下はやっぱりバカなのか? 周り見て見ろよ。負傷者が山ほどいるんだぞ。これを見て心が痛まないのかよ? それに」
と言いながら担架で横たわるイズミさんを見た。
「私は言うことを聞くのが前提と言うことなのですね」




