ダムを巡る攻防戦 最終話
「皇帝だ! 皇帝がいるぞ! 本当にいた!」
「なんでここにいるんだ? 逃げたんじゃないのか?」
だが、兵士たちの様子がおかしい。誰もが武器を下ろし、戦意がまるで見られないのだ。
「聞きなさい! ルーアの兵士よ!」
どこからか聞き覚えのある幼いが強い言葉を並べる声が、どこからか聞こえた。それはレアの声だった。逃げたのではなかったのだ。
「確かに陛下は逃げました! ですが、陛下は連盟政府の傀儡となりつつあった帝政ルーアを守る為に偽りの政府を捨てたのです!
陛下は仰いました。あなた達の責任は全て背負うと! それは聞いていたでしょう!
陛下はマルタンにいるあなた達を守る為に逃亡先から舞い戻り、連盟政府・商会の連合軍によって破壊されようとしているダムを守っているのです! あなた達の忠誠を示しなさい! 皇帝とあなた達兵士がいれば帝政ルーアは領地無くとも存在する!」
レアは天端を駆けてこちらに向かってくるとアニエスさんに近づき、「アニエスさん、あとはあなたがお願いします」と囁いた。アニエスさんは頷くと杖を持ち上げ、マイクのようにした。
「聞きなさい! 長き歴史を持つ偉大なるエルフの戦士たちよ! 私たち帝政ルーアの者たちのせいでダムが決壊してマルタンを水浸しにするなど、エルフの歴史の中で永久に語り草にされる汚点です。未来永劫、子々孫々、その先まで愚かなエルフだと笑い者になりたくなければ、言うことを聞きなさい!
私たちのするべきことはただ一つ! その帝政ルーアの勇敢なる意思を持ってこのダムを護り、マルタンの、いえ、かの勇敢にして偉大なる冒険者、ナイ・ア・モモナの意思を脈々と伝えるユニオン全土の未来を守るのです! 勝利は目前です! ここにいる勇ましきユニオン軍と手を取り合い、連盟政府・商会の連合軍を追い払いなさい! ダムを、未来を、エルフの矜持を守るのです!」
アニエスさんの言葉に帝政ルーアの兵士たちの士気は上がった。
呆然と立ち尽くし、だらりと下がった腕の先で地面を向いていた銃口は前を向いた。なまくらになっていた銃剣は鋭さを増して陽の光をギラギラと照り返した。
私も負けてはいられない。「再度、着け剣! 弾の無い者、銃が壊れた者はサッパースペードでぶん殴れ!」と残っていたユニオン兵に指示を出すと、彼らも帝政ルーアの兵士の熱気に当てられて鈍く光り出したのだ。
「レアさん、ダムの通路の反対側にポータルを繋いで、半分をそちらに回してください。一方向からでは守り切れません」
レアは大きく頷くとポータルを開いた。そして、帝政ルーアの兵士を簡単に分けた。
遠巻きにそれを見ていたアニエスさんは大きく息を吸い込んだ。
そして、息を止めた。その場にいた兵士たち全員が息を飲み込み、その手に持つ銃を強く握った。構える動きが兵士全体に伝わったのか、肩が動く動作がシンクロした。
攻撃音は聞こえていたはずなのに静寂に包まれた。
戦場に迷い込んだターコイズの色をした蝶が羽ばたく、その音さえも聞こえそうになった。
その次の瞬間、
「突撃!」
とアニエスさんの声が響きダム一体の空気を震わせた。
その声に合わせて帝政ルーアの兵士たちは
「ルーア、万歳! 帝国よ、幾久しく! 勝ち鬨を上げろォォォ!」
と実際にその場にいる兵士の数よりも何倍もありそうな鬨の声を上げて、山を下りてきた連盟政府・商会の聯合軍の兵士たちを迎え撃ったのだ。
これが皇帝の力。畏怖の咆吼。
山は崩れるほどに揺れ、空気は皮膚を裂くほどに震える。
私はあっけにとられてしまった。これは勝てると確信した。だが、勝つことさえも忘れてその戦士の濁流の光景、山を揺るがす音と振動、硝煙の匂いさえもかき消すような土の匂いの全てに圧倒されていた。
「カミーユさん」と名前を呼ばれて私ははっとした。
アニエスさんが私のことを呼んでいたのだ。彼女の近くへ行くと「指揮はお願い致します。私はイズミさんとポルッカと、このダムを直さなければいけないのです。今的確な指揮を出せるのは、あなただけなのです」と言うと背中のポルッカを渡すように背中を見つめてきた。
私はすかさず「分かりました」とポルッカを下ろした。
「帝政ルーアの皇帝の背中に背負われるとは、私はエルフに恨み殺されそうだな、ふふふ。あ、いてて。しっかり持ってくれよ、陛下殿」
それから戦況は一変した。帝政ルーア軍とユニオン軍は勢いを取り戻したのだ。
私はそこで指揮を執った。だが、私が指揮を執らなくても状況はよくなっていただろう。
山岳地帯の上の方で活躍していたラーヌヤルヴィ家のハッカペルと連盟政府・商会の連合軍を挟み撃ちにして壊滅させた。
ダムの修理は戦いと呼応するように順調に進み、ひびもすっかり無くなった。
しかし、全ての修理が終わったあとだった。
かたが付いて気が抜けてしまったのだろう。イズミは意識を失って倒れてしまったのだ。




