血潮伝う金床の星 第二十四話
ギルベールをつかみ止めた大男は、メレデント長官だった。
しかし、自らの直属の上司に止められたにもかかわらず、ギルベールは収まろうとしなかった。
「で、ですが、メレデント長官! わたしはシロークのためを思って……」
「少し黙れ。落ち着きがないぞ。次期長官がそんなでは務まらんぞ」
メレデントはギルベールを睨みつけるようにして目を細めてそう言うと、肩から手を放してシロークの方へ向いた。
「シローク・ギンスブルグ。君は本当に選挙をつづけるのか?」
「メレデント長官、私は立候補を取り下げるつもりは一切ありません」
落ち着いた声で深々と丁寧に答えると、メレデントはシロークにゆっくり歩み寄った。
「そうか。気が弱いと思っていたが、どうやらそうではないらしいな。目の中に確かな覚悟がある」と低い声で言いながら、手を後ろで組んだ。「君は家族を大事にする男と聞いた。現在の妻であるユリナはなかなか攻撃的な性格だが、それでも君は離れようとしないな」
「それはユリナのほんの一部です。妻は、あれはあれで優しく、いいところも、可愛いところも、知らないところも、まだまだたくさんあるのです」
「そうか。ただのライバルにしておくのは勿体ない男だな。どうだ。立候補を辞退して、政省に勤める気はないか?」
「私は金融省長官になります。ともに仕事をするときは、あなたと同じ円卓の上でしょう」
メレデントはシロークの返答を聞くと、小さく震え始めた。そして突然胸を張り、上を向いて笑い出し、彼の軍帽を外した。
「わははは! 大した男じゃないか! ますます気に入った!」
「長官! 申し訳ございません! シロークは現実が見えてないゆえに暴言を! シローク! 長官にすぐに謝れ!」
「ギルベール!!」
大声で笑うの途端にやめて、落ち着きのなく会話に割って入ったギルベールを一喝すると、
「お前はシロークを見習え!ガサツなお前を支援する身にもなれ!バカモノが!」
とさらに叱責した。縮こまった部下の姿など構わず、咳払いをして気を取り直した。
「さて、昔の話をするのは、君は嫌いだったな?」
部屋の中をぐるぐる歩き回り、シロークの顔色を見つつ話を続けた。
「だが、言わせてもらう。君の現在の妻であるユリナは、悔しいが、優秀だと言わざるを得ない。そして、前妻であるマリアムネも非常に優秀だった。当時は実に惜しい人材を失くしたと後悔したものだ。彼女の構想していた共和制への移行のプランは、私が考え付いたものと遜色のないものだった。あの若さで思いつくとは、目を見張るものだった。どこかの長官についてもらいたかったものだ」
「マリアムネは、もう、死にました。傍にいるのは、ユリナです」
「家族を亡くしたのは君だけではない」
メレデントは棚の前に来ると、そこに置いてある金床四星を模した小さな盾を持ち上げて、手のひらで転がし始めた。
「私には孫が一人いる。ウリヤと言う名前だ。共和制移行後それ以外に家族はいない。私とウリヤだけでは大きな屋敷は広くてな……。テキパキとよく働く召使がいても、上げるのは仕事としての音ばかりで機械的で寂しいものだ」
「それは、つまり?」
「悲しいことに”事故”で亡くなった。共和制移行直前に私とウリヤ以外が乗った車が爆発を起こしてな。整備不良だそうだ」
そして、手で弄んでいた盾を裏返しに戻し、何かを思い出すように深く目をつぶった。
「だが、私も君を見習わなければな。悲しみにとらわれず、新たな家族と歩むのもいい」
「私はマリアムネを忘れたことはありません」
「それは私も同じだ。私の妻も、息子もその妻も、みなを一度たりと忘れたことはない。前を向くことと、決して忘れないこと、それは矛盾ではない。我々は愚かな生き物だ。歴史には決して学べず、経験のみでしか学べない。だから、その経験を忘れずに前を向くことこそが前進であるのだ!」
そして、再びシロークの前に立ち、ゆるく握った拳で心臓の前あたりをトントンと叩いた。
「それから、君が立候補してくれたのはとてもいい傾向だ。平等性や風通しを良くするには必要である。古き悪しきたまり水のような風習が去り、等しく並んだものの中から我々が選ばれ勝利した場合は、君たちの得票数を目にしかと焼き付けよう。その数が多ければ多いほど、反映すべき課題も多いということだ。譲れぬところもあるだろうが、不満を抱く君たちこそ満足できる社会にしていこうぞ。そして、もし君たちが勝利した場合は大きな支えとなろう」
そう言うとギルベールに顎で指示を出した。どうやら帰るようだ。それに気が付いたギルベールは慌てて上着を取り、メレデントの傍へひょこひょこ焦りながら行った。
「今日は特に用事はない。顔を見に来ただけだ。シローク、君と議事堂の円卓で話し合えるように健闘を祈る。だがもちろん、私もギルベールの後押しは止めることはしない。君は君たちのやり方で戦いたまえ! では、失礼させてもらおう」
二人はドアの方へと進んでいった。俺は出て行こうとする二人のために、個室のドアを開けた。
すると、メレデントは去り際にドアを押さえる俺の真横に立った。そして黒い手袋を付けた大きな手で肩を包み込むように軽くたたくと
「ヘリツェン・マゼルソンにはくれぐれも気を付けたまえ」
と囁いた。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘、お待ちしております。