マルタン芸術広場事件 第四十三話
「それでも、あなたの気持ちは分からない。殺した相手に復讐して殺し返したからと言って、あなたのお兄さんは戻っては来ないの。あなたがここで堪えなければ、きっと、あなたと同じ思いをする人が現れてしまう。そして、今私が向けられている刃をあなたが向けられることになる」
アニエスの言葉が続くにつれてティルナの剣は下がっていった。
「ごめんなさい。当たり前のことしか言えないわね。あなたのお兄さんは亡くなる前になんて言ったのかしら。何を言っていたとしても、あなたに刃が向けられることに悲しむはずよ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
ティルナは涙ぐんだ目をつぶり、首を多く左右に振って否定した。そして落ちかけていた剣を握り直し、真っ直ぐ掲げた。
「そうですか。では、どうしてもと言うなら、この人じゃなくて私を切りなさい。皇帝である私を」
それを聞いたティルナは動きを止めて、目を大きく見開いた。紫色の目が揺れ始め、それに会わせるかのように剣の切っ先も震え始めたのだ。
「この人の掲げる思想は私が全ての原因なのです。だから、本当に原因を潰してしまいたければ、私を切りなさい。この人はどれほど亡命政府の中枢に近かったとしても、私を信じる人のたった一人に過ぎないのです。だから、この人を切ったとしても、あなたの仇は討ち終わらないのです。そして、それを信じる人の数だけ仇を討たなければいけなくなるということです。共和国の人口からすればもう少数派の思想ではありますが、帝政思想を信じる人はたくさんいるわ。あなたは生涯を通じてその人たちを手にかけ続けなければいけない。でも、私は一人。その思想の頂点にいる。だから私を切れば全て終わり」
ティルナは俺を一度見た。震えた瞳をしている。
だが、覚悟を決めたように震えていた手を強く握り直した。柄を握ると革を縛るような音がした。剣を両手で強く持つと、背筋を伸ばして身体を直線にした。左足を僅かに前に出して刃を下段に構えた。
「では、兄の敵を討たせていただきます」
そう言った後、大きく息を吸い込み顎を引きながら歯を食いしばり、大きく踏み込んだあとに床を力強く蹴った。
弾くような床を叩く音と同時に一瞬の強い風が吹き抜けると、周囲に赤い物が飛び散った。剣によって切られたそれは最後の輝きを放っている。
そして、力なく地面に落ちていった。




