マルタンの一番長い日 第五話
ヴァジスラフ氏に連れられてこれまで足を踏み入れたことの無い部屋へと案内された。表札はそのまま残されており、そこには市長室と書かれていた。そこで収録が行われるようだ。
ドアを開けて中に入るとかつて使われていた執務机の上には上品な紫のビロードクロスが敷かれ、録音用の音声魔石が置かれていた。
部屋の窓という窓には目張りがされており、壁も小さな穴が無数に空いている防音のもので囲まれている。
外の爆発音も振動も全く感じない。まるで予め準備をしておいたような空間だったのだ。
魔術関連道具を管理しているメイドさんのイルジナ、亡命政府軍兵士三人、それから顧問団の四人がその場にいた。
そこに私とウリヤちゃんとヴァジスラフ氏が加わり、計十一人が録音ではない私のスピーチを直接聞くのだ。たったの十一人である。
「ご機嫌麗しゅう、アニエス陛下。録音の設備は整っております。ヴァジスラフ氏が先ほどお一人で準備したのです」
ギヴァルシュ政治顧問が化粧の濃い作り笑顔でそう言った後、私の手をチラチラと見て「原稿はお持ちですか? 紙が見当たらないようですが」と尋ねてきた。
「ええ、頭の中にあります」
そう言うとギヴァルシュ政治顧問の眉間がピクリと動いた。
この人は何が気に入らないのだろうか。いや、私やウリヤちゃんの何から何までもが気に入らないのだろう。
彼女の反応を伺ってては面倒だ。「では早速始めましょう」と言い椅子に座り、マイクの前に向かってテストをした。
遅れて背後からその声が聞こえてきた。どうやらスピーカーがあるようだ。
二、三度、咳払いをして喉を整えた後、ヴァジスラフ氏に目配せをした。
するとヴァジスラフ氏が足音を立てずに近づいてきて、机上の音声魔石を起動し、録音を開始した。再び足音を立てずに部屋の隅に戻ると、上着の内側に手を入れてネクタイを直す仕草を見せた。
“ご静聴の皆様、私はアニエス・モギレフスキーと申します。
このたび、マルタンでの帝政ルーア亡命政府の代表としてこの演説の場を設けていただきました。
なぜ私のような者がそのような機会を与えられたのか。疑問に思われる方がほとんどでしょう。
私はかつて帝政ルーアの皇帝一族として君臨していたルーア家の分家であるフェルタロス家、人間側での呼称はフェリタロッサ家の末裔であるからです。
フェリタロッサ家はご存じの通り、かつては占星術師の一族として名を馳せていました。ルーア家の者は代々こちらで言うところの占星術を使うことが出来ました。
その分家であるフェルタロス家も同様です。分家と言うこともあり、正統であるかと言えば完全ではありません。
ですが、その志はかつて栄えた本家にも負けないという自負があります。
本日、皆様に確実にお伝えしなければいけないことは三点ございます。……”




