血潮伝う金床の星 第十三話
軍部省舎を出ると目の前には先ほどと同じ黒塗りの車が止まっていて、手袋をした運転手の男がドアを開けると俺たちはいそいそと乗り込んだ。走り出すよりも早くユリナは何かの書類を見はじめた。すると「座席表だ。見とけ」といって紙を投げ渡された。
それから十分ほど走っただろうか、窓の外を見上げるとグラントルアの中心に位置する古い建物が見えてきた。歴史がありそうな見た目からして評議会議事堂だろう。山の手のギンスブルグ邸からも見えていたので大きいとは思っていたが、近づくとかなりの迫力だ。
だが、忙しい彼女に合わせて動いていると、この新世界の光景をじっくり堪能する暇もない。車がキキッと止まるとドアが開かれ、すぐに移動が始まった。かつかつ歩く彼女についていくばかりでどこを通ったかも覚えていない。
議事堂内は似たような構造の繰り返しでまるで迷路だ。同じような廊下を何度か曲がってやっと着いた会議室のドアは劇場のような防音のものであり、壁に描かれた絵のように固く閉ざされている。重たいそれを力いっぱい引いて開けると、大きめの円卓が見えた。そこに上座を作らないように四つの椅子が置かれてあり、そのうちの三つにはすでに誰か座っていた。
そして、一番遅かったユリナを咎めるような視線とため息がそこから一斉に飛んできた。だが彼女は、あら、と両眉を上げるだけで、気にもせずに一番ドアに近くの空いている席に着いた。
そこには、本当はないはずの下座のように見える。若手がなめられるのはここでも同じなのだろう。座ると同時に重々しい音がしてドアが閉ざされると、会議が始まった。
「諸君、ご機嫌いかがかな? さて、今回は私、ヘリツェン・マゼルソンが進行当番だ。はじめよう、がその前に、ギンスブルグ軍部省長官の後ろにいる君は誰かな?」
早速マゼルソンが新顔の俺を見て名前を尋ねてきた。だが応えるわけにはいかず、そのままでいると「ん?」と念を押すように尋ねられた。ユリナが紅をさした唇をわずかに微笑ませ、会議用の顔で発言を始めた。
「こいつ……この男性は私の直属の部下です。私の命令以外では話すことを許可しておりませんので、私から失礼させていただきます。この者はイズミと言う名前です。非常に高度な魔法が使える人材ですのでこれまでは秘匿しておりました」
指示通り、目も合わさず眼球を半分上に向けたまま微動だにせず、俺は黙り続けた。ユリナよりも上の立場の人が命令すれば口を開かざるを得ない。しかし、彼女はこの国の頂点の一角である。ほかに三人の頂点がいたとしても、立場は平等であり、彼女よりも上の存在などいないのだ。つまり、彼女以外の誰を無視しても構わないのだ。おそらく、俺は話せばぼろを出すことを彼女はよく理解しているのだろう。それを踏まえた上での指示だ。
ユリナが代わりに返事をしたことが気に入らなかったのか、マゼルソンは顎を高く上げた。
「のんびり屋のお姫様は同類の道化を連れなきゃ気が済まないのかね。省内全体の風紀が乱れている。まさか色々お楽しみのあれでは……」
「マゼルソン、下品だ。辞めたまえ。彼女の旦那もここにいるのだ」
テーブルをコンコンと軽く叩く音がした。シャープで特徴的な眉毛の男がテーブルを小突いた。そして、深いほりの底をギラリと光らせるとマゼルソンの言葉を遮り嗜めた。
ユリナ以外軍人ではないはずだが、この男はどう見ても軍服を着ている。デザインは色合いからしてユリナのものとは大きく異なり、見るものを威嚇するかのような作りをしている。記憶の中の座席表では、そこに座る男はメレデントだ。
ユリナの営業スマイルは瞬時に青筋を立て、マゼルソンを見下すように睨みつけた。
「脂ギトギトの下ネタジジィが……。んなんだからタブロイド紙が股間盛り上げて記事にすんだよ……ったく」
ユリナが悪態をつくその隣で、何が面白かったのかわからないが太った男が笑い声をあげている。大きな図体に、禿げあがった頭、口髭、蝶ネクタイ、上着の隙間からはサスペンションがちらついていて、例えるなら、壁から落ちれば割れてしまいそうな体つきだ。ハンプティ〇ンプティは残りのアルゼンだろう。なるほど、生活習慣病で引退か。
「ほっほっほっ、ギンスブルグくん、素が出ていますぞ。およそ上品とは言えませんな。大事なお孫さんがそうならないといいですなぁ、メレデントくん」
ほっほほっほとスケベそうに笑う後ろには三人の男が座っている。左から短髪で口角が常に上を向いている四角い顔の男が大股を開いて座り、その横で狭そうにしているウェーブ髪のシローク、さらにその横には絶えず目に微笑みを湛えているマゼルソンをそのまま若返らせたような長髪の男。彼らは次期長官候補者の三人だ。セルジュ・ギルベール。シローク・ギンスブルグ。カスト・マゼルソン。ということになる。
下品に笑うアルゼンに無表情で一瞥をくれた後、マゼルソンは後ろのシロークを見た。
「シローク、君の妻は何かと目立つな。マリアムネ氏のことは非常に残念だった。熊のよく出る夜の森には気を付けなければな。これからも」
シロークは大きく息を吸い込み瞬きをした。だが同時に、シロークの隣に座る長髪の男、カストが、熊の話をするや否や眉を寄せて難しい顔になり顎先を触った。
やり取りを見ていたメレデントが椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。足を揺らしているのか、彼のあたりのテーブルクロスがわずかに揺れている。
「なぜ、この期に及んでマリアムネの死の話を持ち出すのだ。マゼルソン、君はそこから前に進んでいないようだな」
「なぁ諸君、死んだ人間の話をするためにわざわざ病院から出てきた人の気持ちを考えたことがあるかね? 早く本題に入らんか?続けるならドーナツを出してくれ。砂糖がたっぷりかかっていて、カラースプレーどっさりついているものを」
いつまでも始まらない会議に苛つきだしたアルゼンがテーブルに肘つき身を乗り出した。
マゼルソンも面倒になったのだろう。話を終わらせるべくシロークに尋ねた。
「彼女は熊に襲われて死んだ。そうだな? シローク?」
「……はい」
彼は、シロークが小さな声で答えたのを見ると、頷いてテーブルの上の資料に手をかけた。しかし、
「随分とマリアムネの死に固執するのだな。そんなに彼女の死が惜しかったか? それとも君の立場を脅かす何かでもあったのかね?」
とまたしてもメレデントは噛みついた。足の動きは先ほどより大きくなっている。
話を終わらせようとしたマゼルソンに意地でも噛みつく姿に呆れてしまったのか、アルゼンは額を抱えて、あぁ面倒な奴らだ、とぼやいた。
「クッソジジィどもが……」
ユリナの顎は高くあげられて、いまにもテーブルに足を載せそうな勢いだ。
「早く病院に戻らねば。では本日の議題に入ろう」
進行ではないアルゼンの一言でまとまった。だが、最悪な空気は変わらなかった。
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