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叛国の徒、突入に至るまで 第一話

 ドアを開けると、月明かりを背後から受けた影が長く伸びた。


 ヒミンビョルグの山小屋に戻ってくるや否や、強烈に震えだしていた足がついに持たなくなった。

 そのまま膝から崩れ落ちて膝を突いた。微かに見えた床に制服についていた血が移っているのが見えた。

 俺はどこも怪我などしていない。それは俺がほんの数分前に拳銃で撃ち抜いた者の血液だ。

 それを見た瞬間に再び吐き気がこみ上げてきた。堪えようのないそれについに口を押さえたが、ついに吐き出してしまった。

 それから数回嘔吐を繰り返しながら床に倒れ込むように寝転がってしまった。

 自分の吐いたものの汚れがついてしまうのも気にならないほどに、力が太ももから上がるように抜けていった。


 また俺は誰かを殺したのだ。最初の難民エルフであれほど後悔したというのに、そして、それがあったからこそ誓った不殺を破ったのだ。

 それもまたしてもエルフの、それも恩人であるマゼルソン法律省長官を撃ったのだ。


 吐き気が収まると今度は強烈な後悔が訪れた。身体を丸めると、吐瀉物で汚れたカーペットを巻き込んだ。


 誓いを破ったことに後悔と憤りを覚えているのではない。自らの意思で、そして誰を撃ったことが分かるが故に嘆いているのだ。


 そのまま五分ほど嗚咽を繰り返した後、そのまま身体を仰向けにした。腰に付けていた杖が床に引っかかり外れると、ころころと音を立てて転がっていった。

 このままもう一度嘔吐して、その吐瀉物が気管に入り肺炎でも起こして死んでしまいたいとも思った。


 だが、残念なことに起こりはしなかった。


 すでに戦争でありながら誰かを一人殺したくらいで目眩に飲み込まれる自分が情けなくなっているという段階に達していたのだ。


 撃たれた相手の痛みや感情など、それは自分の中の思い込みに過ぎないことであっても、それを考えることを一切しなくなっていたのだ。


 撃った事への現実感はすぐに薄れていたのだ。


 自分は北公で衛生兵のようなことをしていた。そのときにも死は何度も目にしてきたが、その目に映る死は自分がもたらした事象ではなかった。

 死を回避する先に見た死と自らが与えた死では同じものであっても感じるものが全て違う。

 しかし、死であることは同じであり、自分の中で割り切ることがすぐに出来るようになっていたのだ。


 殺しを乗り越えられるなど、そのようなものは経験とは言わない。だから、俺は成長などしていない。それは成長ではなく、人としての感情の死だ。

 俺は誰かを殺して、感情も死んだ。これから味わう全ての喜怒哀楽の全ては偽りなのだ。


 それでも涙は溢れてきた。そして、自分が幸せな立場であることを噛みしめた。


 寝ゲロで死んでしまえばいいなど、無責任にもほどがある。

 マゼルソン法律省長官は作戦の成功を願う為に、国家の為に、そして、俺自身のために自ら撃たれることを望んだ。


 俺がここで撃ったことを後悔し続けて何もしなかったら、それこそマゼルソン法律省長官は無駄死にだ。


 身体をさらに丸めた。そして、全身の力を振り絞った。

 右手に力を込めて椅子に手を突き立ち上がった。そして、炊事場に向かうと溜めていた雪解け水の入っていた甕を思い切り持ち上げ、家中が水浸しになることも構わずに頭から浴びた。


 ヒミンビョルグは年中氷点下だ。水も強烈に冷たい。

 溺れるような量の水と冷たすぎる温度で呼吸も苦しくなるほど冷えた。長く浴びていたつもりではなかったが、まるでこのまま息が出来ずに死んでしまうほど長く感じた。

 おもわず空気を求めて手を伸ばすと、真っ暗な小屋の中が見え始めた。


 頭が冷えて冷静になれた、と言う段階を通り越してとにかくただ寒いということだけが頭に残っていたので、喘鳴を繰り返して呼吸を整えながら床に転がっていた杖を手探りで探して持ち上げた。

 そして、照明と暖房器具を付けた。

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