迷える羊飼いとギンセンカの乙女たち 第十話
そう言った瞬間、車内の空気は一瞬にして張り詰めた。
ルームミラー越しに見えていた運転席の男の表情は愛想のいい糸目の笑顔から変貌し、顎を引き気味にして睨みつけてきた。
「おい、アンタ。黙ってろよ。ゴチャゴチャうるせぇんだよ」と先ほどとは打って変わってドスの利いた声を出してきた。同時に右と助手席にいた男たちがナイフを突きつけてきた。
「これでお前がどういう状況か分かってんだろうな?」
「なるほど、私はうっかり騙されて、誰だか分からない連中に攫われたと言うことですね」
「そうだ。わかってんじゃねぇか。
お前がどんだけ力が強くても、もう抑えられて動けねぇ。
そのベルトは金属が繊維に練り込まれてる。ちょっとやそっとじゃ壊れねぇシロモンだぜ?」
「そのようですね」といいながらぐっと腕を上げようとしてみた。しかし、力を少し込めたくらいではびくともしなかった。
「あなた方の目的は何ですか?」
「身代金だよ。お前の親父にたんまり金を請求するんだ。俺ら“世界樹の方舟”の活動資金に充てるんだよ!」
ミストル。確か、スヴェンニーたちの神話で世界樹はヤドリギ(ミストル)だった。スヴェリア系の新興宗教だろうか。
しかし、方舟は関所の女性が信仰していた少数派の宗教の中でもさらに古い神話に出てくるもので、ゴフェルの木で出来ていたはず。
宗教の価値の薄さゆえに意味も混同されている。三日で考えたような響きだけの無茶苦茶な名前からして、ありきたりな新興宗教だ。
「聞いたことないですね……。金融協会は実績や信頼の無い組織に融資はしないと思いますよ。
連盟政府内部は教導総攬院の特例で宗教団体に納税義務がなく、融資対象かどうかの財務体質の判断は寄付金額によります。
寄付金額も過少申告などが目立ち不透明なところが多いので、具体的な事業計画書が……」
「融資じゃねぇ! 奪うんだよ!」と運転手の男がハンドルを強く叩き怒鳴り声を上げた。
「お前がこうやって捕まったんだ。もうたんまりいただくの決まったんだよ!」
「お金を出すのは私ではなく、協会ですけど」
「うるせぇ!」と運転手は先ほどよりも強くハンドルを殴った。すると車は左右に尻を振った。
車内が大きく揺れたが頑丈なシートベルトのおかげで私は揺れることはなかった。
「安全運転、してくださいね」
「お前ら金持ちから何を盗んでもいいんだよ! 俺らは正義の為にそれを使うんだ。
金持ちは悪だ。この世の富を自分たちの豊かさの為だけに溜め込んでんだろ!
そんな悪いヤツらからは何盗ってもいいんだよ!」
呆れたものだ。先ほどの女性とは真逆の存在だ。少数派の宗教の信者でありながらあそこまで信心深い者がいる裏で、信者のほとんどがこういった者たちばかりなのだろう。
かつての連盟政府で勢力を誇っていた宗教もそうだった。
「哀れな方たちですね。ですが、物を盗んでいい者は、盗まれる覚悟のある者だけですよ?」
そう言うまもなく、ぱしりとガラスにひびが入るような音がして「うっ」と低く小さな声がした。




