迷える羊飼いとギンセンカの乙女たち 第九話
この状況を打破できるなら、とにかく何でもいい。
先ほどの店や様子を見ていた他の店の者たちがわらわらと出てきて、私を尾行していた者たちをフライパンや木の棒で叩き始めたことで出来た隙に、私はそれに飛び乗った。
ドアが閉まるよりも早く、車はタイヤを空転させて急発進した。
車はそのままスピードを上げて追っ手を逃げ切り、しばらくすると車通りの多い近代的なメインストリートに入った。
ここまで来てしまえば追っ手も派手な行動には出ることが出来ないと悟ったのだろう。車の速度に落ち着きを取り戻した。すると車内にも穏やかな空気が流れ始めた。
「助かりました。追っ手に囲まれてしまったので」
車の中を見回した。外からは中が見えない特殊なガラスだろう。外がやや青くくすんで見える。
運転手、助手席に男が一人、そして、後部座席の私の横にも男が一人。どちらも黒いスーツにサングラスをしている屈強な男だ。
「私は迎えなど手配していませんでしたが?」
「いいんですよ。気にしないでください! あなたは大事な人なんですから」と運転席の男は前を見たまま背中越しに気前よさそうにそう言った。
車はラド・デル・マルの中心部へと向かう幹線道路に入った。だが、現在大統領府となっているカルデロン本宅のある海側には向かわない道へと入っていったのだ。
「そうですか。ティルナ会長はお元気ですか? 任務とは言え、私も久しぶりに会うので些か嬉しいと思うところがあります」
黒服の男たちは反応をしなかったが、運転手の男は「相変わらずですよ。お兄様がご病気になられて表に出てこなくなってからは少しばかり落ち込んではいるみたいですが」と相変わらず気さくな笑顔になっていた。
なるほど。やはりな。この者たちはあの事件の真相を知らない。
確かにティルナの兄エスパシオの死を知る者は未だに限られている。だが、私の事情を知りこうして迎えにくるほどの者がそれを知らないというのは不自然だ。
「そうですか。それは良かった。昔の話に花が咲きそうです」
私は笑顔で応えるだけにした。
ふと窓の外を見ると、カルデロン本宅からはどんどんと遠ざかっている。
「どうやらカルデロンの家からは遠ざかっているようですね。秘密の密会場所でもあるのでしょうね」
そう尋ねたが、運転席の男は特に何も言わずにはははと笑うだけだった。それ以外の男たちは相変わらず微動だにせず何の反応を見せない。
私の右隣に座る男は膝の上に載せているのは左手だけ。右手は常に私から見えない位置に隠している。
おそらく武器を持っている。それもいつでも使えるようにスタンバイ状態であることは間違いない。
前にいる男は両手を膝の上に置いているのだろう。シートの脇から見えるのは上腕部の上半分だけだ。そちらも私から見えない膝の上に何かしらの武器を持っている。
「シートにベルトはありますか? 私はまだ連盟政府の者なので、車というのに慣れていなくて、些か怖いのです。何か固定するベルトがあると心持ち安心なのですが」
「ありますよ」と運転手が言うと右の男がベルトを渡してきた。
「それをシートの端にある金具に付けてください」と言ったので言われたとおりにした。
金具に付けるとそれは縛るようにぐっとしまった。少し窮屈なので一度外そうとすると、それは外れることは無かった。
「随分硬い固定ですね。これで安全ですね」
反応も淡泊になり、運転席の男は笑うだけだった。
「そういえば、お伝えするのを忘れたのですが」と窓の外の都市部から遠ざかっていく景色に目をやった。
「私はティルナ・カルデロンと面会の予定はないのですよ」




