血潮伝う金床の星 第九話
「いま、少し落ち着きがないので、これからは敬語は失礼させてもらう。黙ってたが、俺はエルフの文字が読めるし、会話もできる。これからのやり取りはあんたが一番ストレートに伝えられる言語で頼む」
聞いたシロークはますます表情を曇らせた。
「……君たちは敷地内で行動の自由は保障されているがあくまで捕虜だ。あまり余計なことをすると拘束することになりかねない」
彼はグラスを置いて、デスクによりかかり腕を組んだ。
「自分の縄張りに入ったらだいぶ強気になったな。申し訳ないが、新聞は読ませてもらった。どの程度信頼に値するかはわからないし、あくまで民間人が知っている範囲でだが状況は分かっている。何も考えずに思い付きでものを言ってるわけじゃあない。拘束するなら話を聞いてからにしてくれ」
「いいだろう。話したまえ」
そう言うと、人差し指で払い一緒に入ってきた女中さんを部屋の外へ出した。
アルゼン氏の早期辞任に伴い金融の長官が交代するということは誰かが次にならなければいけない。もしここで和平派の長官に代われば、ユリナを含めた四権力の長の半分が和平派になることは確実だ。
だが、現状では和平派の候補者はいない。ならば、我々が和平派候補を擁立すればいい。誰をすればいいか、それは難しい話ではない。なるべき人材は目の前にいるシロークだからだ。金融省に勤めていて、省ではかなりベテランで、立場も聞いている限りでは、限りなく上に近い。これほどまでに適任な人……エルフが他にいるとは思えない。
ここでもし、シロークがトップになれば、四権力と評議会を和平の方向に持ち込み、目に見える形で人間側と調停を行い、無意味な争いを止められるのではないだろうか。偶然にも、トバイアス・ザカライア商会の幹部候補とヴィトー金融協会の頭取の娘という、エノシュ側の二大勢力の関係者がこの屋敷には軟禁されている。これを利用しない手はない。
俺はレアとカミュに話したことを彼に伝えた。だが、女神の話をすると途端に信ぴょう性を失うので控えた。和平はあくまで人間とエルフの願いだということにして。
一通りの話を聞いたシロークは唇を一文字に結び、組まれた腕の指先で肘を叩いている。
「情報を得るために、マリークくんを利用したことは申し訳ない」
「我々は戦争状態なのだ。いかなる手段も用いるのは我々も同じだ。それを咎めるつもりはない。だが傷一つ負わせれば容赦はしなかっただろう。何をこそこそとしていたかと思えば、そんなことか」
「最初はそんなことは考えていなかったさ。あんたを川の北岸まで送り届けてそれでおさらばのはずだった。そうなっていれば今頃あんたのくれた金で飲んだくれて路地裏に吐いてた頃合いだ。だが実際そんなうまくも行かない。人権問題なんてまっぴらな好待遇でも、閉じ込められたんじゃ抜けだすしかない。俺たちは穴をほじくり返してトンネル作るための手頃なスプーンを探してたわけだ。そこにあんたの息子さんがスプーン持ってきてくれたのさ」
「カミーユとか言ったな。あの息子にべたべた付きまとう女剣士。若い女に色仕掛けまでさせて息子に変なこと仕込んでないだろうな?」
カミュの嗜好がマリークの情操教育にいいわけがないのは明らかだが、彼女もそこまで吹き飛んでいないので自制はしている。…………はずだ。そのことについては謝ったほうがいいだろう。少し卑屈になってしまいそうな笑顔を作った。
「ああ、あれは……すいません。カミュはあのくらいの年の男に、まぁ、その、興味が人より強いんだ。べたべたひっ付いてるけど傷つける意思はない。色仕掛けはするつもりはなかったんだが、うまいこと彼女が仲良くなってくれたもんだから、利用させてもらった。だが、マリークはあんたに似て本当にいい子だ。大人になるのが楽しみだ。せがむから魔法も見せてあげたさ」
シロークは腕をほどくと、腰に手を当てた。
「花火、と聞いていたが……。全く……、危ないことをしてくれたな。怪我をしたらどうするつもりだ」
「そうやって、過保護にして友達まで遠ざけてしまうあんたたちには絶対にできない、大人の立場ってのをフルに使って彼の友達になったさ。家もなかなか出られないから友達も少ないだろう」
「うちの教育方針に口を出さないでくれ」
言い終わると同時に強い言葉で言われた。だが、押されるわけにはいかない。マリークのためでもある。
「教育ね。そうそう、伝えるか悩んだが、おまけに関係ない話だが、あの子には魔法の資質がある。それも相当に。多少危ないのを覚悟の上で俺の杖を持たせてみた。杖は使うのではなく、従えるのが魔法だ。読み通り、彼は拒否されることなく見事に従えて小さいが一撃を出した。その小さな一撃の意味を理解しているか? おたくらエルフの何人のうち何人が魔法使いになれるか知らないが、伸ばさないともったいない才能だ。だが、踏み出した一歩の背中を押して、その先に進めるのは結局あんたたちなのが可哀そうだな」
シロークは息を吸い込み、腰に当てていた手がわずかに崩れ後ろに下がりそうになった。驚きを隠そうとしているのだろうが、漏れ出てしまっている。
「……5000人に1人だ。実際にはもっと少ない。だが、魔法を教える施設がない。5人に2人が素質を持つエノシュとは違って、エルフは科学の世界なのだ」
自分の息子の話になると本題を忘れてしまうのか。しかし、自分の息子が0.02%の逸材ともなれば、無理もないだろう。これは畳みかけるにはちょうどいい。
俺はわざとらしく大きくため息をして、下を向いた。
「それは残念。じゃ、彼も役所勤めのただの金持ちか……。俺が誘拐して育てるのもありだが、あんなにいい子をストックホルム症候群にしてしまうのは嫌だ。まぁエルフ様ごときの科学力じゃ魔法は持て余して危ないから関係ないな。そういえば、うちの錬金術師のオージーの最終学歴は名門の中でもさらに異質なフロイデンベルクアカデミアだったな。あ、そうだ。名門出身と言えばもう一人いたな。あんたらが恐れる赤髪のアニエスもエノレア女学院だったっけ……。名門は他にもエイプルトンなんてのも……。よく考えれば俺たちはあちこちにだいぶ顔が利くな。おっと、ごめんよ。ドンパチやらかしている敵国の学校になんて通えないか。何一つ関係ない話だな。忘れてくれ。そのほうが俺もダラダラと食客でいられるしな」
ついにシロークは何も言わなくなった。その沈黙こそ確かな手ごたえだ。金融省トップの話だけで動かせると思ったが甘かった。しかし、思わぬところに釣り針があるとは。マリークにはまた一つ貸しができてしまった。これはますます俺までメイド服着て、マリーク坊ちゃまにお仕えしなければな。
シロークは考え込むように押し黙ったまま時間が過ぎた。
「……ユリナを呼ぶ。会議室にきたまえ。これ以上タダ飯は食えないと思え」
かかったな。彼は俺に近づき、グラスを当てた。
「偉大なるシローク長官に乾杯」
カチンと音がした後に、二人同時にグラスを一気に空けた。俺は部屋を出てすぐさま会議室へ向かおうとした。
「ああ! イズミ君、その恰好のままではダメだ! 大事な会議になる! きちんと着替えてきたまえ!」
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