血潮伝う金床の星 第六話
軟禁状態で一週間が過ぎた。
手掛かりを見つけられず探索にも飽きてきてしまい、どうしたものかと部屋でゴロついていると女中さんがどかどか入ってきた。そして、掃除するからどっか行ってくれと片言で話しかけてきた。フリフリの付いた可愛らしいクラシックで上品なメイド服を着た……おばあちゃんだ。はい、と言って出て行く前にテキパキと無駄のない動きで仕事を始めた女中さんはまるでロボットだ。さながら、文化〇中器。
彼女の仕事の邪魔になりそうなので、夏への扉を抜けて庭を散策していると、カミュがマリークと遊んでいるところを見かけた。近づいて跪き、マリークの視線に高さを合わせると彼は少しムッとした。これまで彼をちょくちょく見かけてはいたが、まだ挨拶はしていない。
「マリークくん、初めまして。お父さんのシロークさんと一緒に仕事をしているイズミと言うものだよ。いつも部下のカミーユと仲良くしてもらってありがとう」
カミュも屈んでマリークをぎゅっと抱きしめた。手繰り寄せて股の間に挟み、鎧を着ていないので目立つ豊かな胸をこれでもかと思いっきり押し付けている。そして、彼の鼓動を堪能するかのように首に顎を載せて息を大きく吸い込んでいる。
「うわぁっ放せ! やめろ!」と彼は抵抗しているものの、顔は真っ赤で、父親譲りのウェーブがかった髪の毛が逆立っている。カミュの力が強いのか、それとも本気で逃げる気はないのか、あまりじたばたとしていない。というよりか、どさくさで胸に肘を押し当てているようにも……。
その瞬間、俺はピンときた。ある作戦を思いついたのだ。
この子はそのキーパーソンになる。
「マリークくん、おじさんたちに少し手伝ってもらえないかな?」
「な、なにするんだよ! お前らくるってるみたいに強いってママが言ってたぞ! はなせ!」
カミュの抱きしめる力は強くないはずだ。彼女は抱きしめながらも、マリーク動けるようにスペースを作って加減している。
「こりゃ意外だ。評価してくれてるんだな……。その強いおじさんたちからのお願い。街から新聞を持ってきてくれないかな?」
「そんなことしてどうするんだ! おどすきか?」
「おじさんね、文字の書いてある紙がたくさん必要なんだ。でも、近くにはないし、秘密のお仕事でお父さんに敷地から出てはダメって言われているんだ。だから、お願いできるのはマリークくん、君だけなんだ」
「う、うっ、い、いやだ……」
脅すつもりはなかったが、少し怖がらせてしまったようで、彼は涙目になってしまった。目じりの涙がいまにも流れそうだ。
「そうかなぁ……。でもそうしてくれないと、君のお父さんの仕事の邪魔になっちゃうんだよ。そうだな……。じゃあ、もし、もしだよ? 君が新聞をいーっぱい、いーっぱい持ってきてくれたら、そこのお姉さんのこと、マリーク君の好きにしていいよ」
「えっ、えふぇふぇっぇー!?」
思ってもみない人が変な声を上げた。カミュが尋常ではない動揺っぷりを見せたのだ。マリークと遊んだわずかな短期間のうちに言葉を覚えたのだろうか。俺の言った言葉を理解したのか、カミュが過呼吸になりそうだ。彼女は子どものハードな遊びに付き合えるだけの体力を持っている。
そして何より子どもが好きだから、好きなだけ遊び相手にしていいというつもりで言ったのだが、何かまずいことを言っただろうか。このくらいの年の男の子に視線を合わせるためには、常に中腰にならなければいけないのはしんどいのだ。それにシロークの息子だ。悪い子ではないはずだ。継母に似ていたら心配だが。
耳元で大人の女性が突然変な声を出したことで恐怖心を忘れてしまったのか、ぼんやり口を開けてカミュを見ている。そして、何かを決心したのか。
「……わかった」
聞き分けがいいのか、あっさりと了承してくれた。これで俺はマリークを下水に引きずり込むピエロにならなくて済みそうだ。
「そう? よかった。お願いね。あ、新聞を集めていることと、おじさんと彼女がエルフの言葉がわかることはおとうさんにもおかあさんにも黙っていてね。ありがとう。小さな英雄くん」
頭をなでてそう言うと、彼は目を星のごとく輝かせた。そしてカミュが腕を放すとそのままの瞳で俺を見上げてきた。
「カミ……コイツがお前のことイ、イズミとか言ってた。お前、魔法が使えるらしいな!」
解放されたことに気付き、逃げ出すようにかけて行ってしまった。だが、少し離れたところで立ち止まった。そして振り返り、「今度見せてくれよなーー!」と大声で叫んだ。
俺は両手で大きく丸を作り、「約束守ったらな!」と笑顔で彼に応えた。
そういうと、彼の顔はますますぱぁっと輝き、イキイキし始めて再び前へ走り出した。軽やかな足取りでまるでスキップでもするようだ。
屋敷の中に入ってしまい、見えなくなるとカミュは呟いた。
「イズミ、あなたにはかないませんね……。私も魔法が使えれば……」
残念そうに下を向いて、しゅんとしている。
「いや、カミュのおかげだよ。難しくなり始める年ごろのココロのトビラを開いてくれた」
不精髭の伸び始めた顎を撫でながら、俺は話を続けた。
「あの子は素敵な子だよ。俺たちが人間だと分かっていながら、ああやって差別なく接してくれる。利用するのはなかなか抵抗があるなぁ……」
「確かに、そうですね。私は夢中……いえ、コミュニケーションに必死で気が付きませんでしたね。しかし、イズミ、利用とはいったい?」
屈んだままのカミュが怪訝そうに見上げている。
「さっき聞いてたと思うけど、情報収集をしてるんだ。それで必要でね」
「ああ、そうですか。何かあれば言ってください」
「いや、カミュはマリークと仲良くしていてくれ」
彼は家の中で見かけることが多い。きっと過保護があまりにも過ぎていてあまり友達も作れないのだろう。情報収集を手伝ってもらうのももちろんだが、こうやって垣根を越えられる大人が友人になるのも悪くないはずだ。もちろん、大人だけと付き合うのは良くない。同世代とも付き合えるようになるきっかけにしてほしいのだ。
それにしても、こんなスタイル抜群でぼいんぼいんのおねいさんがお友達とか、羨ましい。小学校の時に年上のお姉さんが輝いて見えたあの気持ちを味わうのか、しかもこんな美人で。クソ、羨ましい。マリークめ、転校生や町娘に恋心を抱かなくなってしまえ。
カミュは立ち上がると砂ぼこりを払った。払ってもなおついている砂の具合から察するにだいぶマリークの遊びに付き合っているようだ。
「あまり踏み込んだ指示ではないですね……。何か考えているのですか?」
「いや、これは大役だよ? それに、これからカミュにはとんでもなく動いてもらうかもしれない。カミュ個人ではなく、ヴィトー金融協会の看板を背負って」
その瞬間、彼女の表情がキリッと凛々しくなった。
「その際はなんなりと、リーダー」
風が吹き抜け、手入れの行き届いた庭の草木が揺れた。具体的に何をするのか、それを決めるためにはまだ情報が足りない。だが、これからとても大きなヤマを動かすことになる気がするのだ。この国の、ひいては人間とエルフの帰趨を決するような。
俺は黙ってうなずいた。
しばらく風の音を聴いているとカミュが悶え始めた。
「んん、ああぁ、そ、それにしても、チームのためにこの身をささげて、あんな年端も行かない、か、可愛らしい美少年にわ、私は囚われて身も心も好きにされてしまうのですか……。ふ、ふひぃっ、ひひ……。奴隷になれだなんて……ふししっ」
奴隷などと言う単語は一度も使っていないはずだ。その前に、エルフの言葉での『奴隷』をどこで知ったのか。
顔がこれまでに見たことがないほどほころんでいる。いまさらになって気が付いたが、絶対に勘違いをしている。それもセンシティブな方向に。それを見ていると、これまでのカミュのイメージとキャラクター像に入っていったヒビが大きくなっていくのを感じる。
「なぁ、カミュ……大丈夫か?」
「大丈夫えす! なにがなんでもこの身のすべてをささげます……っふひゅう」
つやを帯びた笑顔で元気いっぱいだ。囚われて好きにされる人の顔ではない。マリークの貞操と二次性徴が心配だが、他は大丈夫だろう。たぶん……。
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