血潮伝う金床の星 第五話
図書室のドアを開けると埃と紙の匂いがしたが、他よりも整理整頓が行き届いているのか空気も澄んでいる。
その部屋は、都市部によくあるデザイン性の高いものというより、蔵書を目的として設計されているようで、壁一面は本で埋め尽くされている。どうやって取るのかわからないような位置にあるものもある。きっとどこかにハンドルがあって、それを力強く回すと動くのではないだろうか。綺麗な部屋の一部に本が積まれており、その本と本の間にできたわずかな隙間の奥にオージーの姿が見えた。長机の上に彼は本を広げていた。近づいた俺とアニエスに気付き、顔を上げて笑った。
「イズミ君か……。カガクギジュツに関して興味がわいて調べようと思ったのだが、いかんせんエルフの言葉がわからなくてね。怒られ覚悟でシロークさんに聞いたら言葉を学ぶくらいなら構わないと言われて図書室を開けてもらえた。だが、これは非常に難しい言語だ……。主詞と述詞はあるが、動詞が助命動詞だとか古命動詞だとか、過去形がない代わりに時間帯で異なる。60進法で別れているみたいで、まるで時間を中心に作られているようだ。それに対象が物か者での変化形も規則が少なくて豊富で訳の分からない物ばかりだよ。動物でも者になるのか物になるかでわかれていて……ははは……」
何やら難しいことを言い始めたオージーは、やつれて、指紋だらけの眼鏡は傾き、髪はぼさぼさに広がり、傘の開いた干しシイタケのような顔になっている。これはどうも彼も良くない状態のようだ。いつかのフロイデンベルクアカデミアを思い出す荒れっぷりだ。ストレスが溜まると髪は特徴的に広がり、それを忘れるために調べものにハマり、寝不足になり、目が小さくしょぼくれるのだ。
「オージー、君もか……。また徹夜してるだろ」
「ははは、イズミ君。バレてしまったか」
干しシイタケが傘をふわふわと上下を揺らすように笑った。
「アンネリが心配?」
ピタリとペンを止めて机に置き、無表情で俺を見つめてきた。図星のようだ。
「ああ、だが、シロークさんとユリナさんに頼んだら、軍用回線をあちこち経由させてアナのキューディラにシグナルを送ってくれた。イズミ君の持っているような混線しやすい旧式のもので少し扱い辛かったよ。シグナルは彼女にはわかるはずだ。それにヨーテルさん……、面倒見のいいおばさんが近所にいる。だが」
「心配、だよなぁ」
オージーが両手をもみ合わせた。図書室は静まり返った。
埃も舞わない部屋の中は寂しく、差し込む陽が本を焼いて、永い時間をかけて黄色くしていく音まで聞こえてきそうだった。
外から人の声がかすかに聞こえる。
三人で窓の外に目をやると、カミュがトカゲのように木によじ登っているのが見えた。その後ろを恐る恐るついていくマリークの姿がある。
「何やってんだろな、ありゃ……」
オージーは伸びをした。
「さて、悩んでいても仕方ないさ。彼女たちのように前向きにならなければ。ボクはここで技術の一つでも盗み出して帰るつもりだ。アナも待っている」
「アンネリさんは大丈夫ですよ」
黙っていたアニエスが口を開いて微笑みかけた。
「そうかい。ありがとう。ところで君はイズミ君の……あ、いや、なんでもない。探し物だろう? 何を探しているんだ? 気分転換にボクも手伝うよ」
立ち上がるオージーの関節がパキパキ音を立てた。
オージーが歴史の本を探すのを手伝ってくれた。しかし、一向に見つかることはなかった。図書館で読むことのできた本は語学系と技術系のものばかりだった。読み書きのできる俺は語学系の本に必要性を見出すことができず、技術系の本は読めたとしても、火薬滓の少ない火薬の種類がどうとか、リン鉱石だとか、挿絵を見ている分には楽しいが内容は何が何だかわからず全く理解ができなかった。
技術書についてオージーに読み聞かせられるが、俺もエルフの文字は読めないという設定なので、挿絵を眺めているだけで終わった。確かに蔵書は多いが、共和国以前のものは帝政の思想があるとして、この部屋には置いていないそうだ。やはり新聞を集める必要があるのではないだろうか。
陽も傾いたころ、散らかした本を片付けて三人で夕食へ向かった。その日も収穫を得られなかったのだ。
あくる日、ククーシュカは何をしているのだろうかと思い、彼女の部屋を訪ねた。
ドアが開かれて中を覗くと、珍しくコートを脱いだ彼女がいた。コートはハンガーに掛けてはおらず棚の上に置いてあった。一時的に脱いだのだろう。しかし、その横に見覚えのあるボウルが置いてある。
「それどこから持ってきたの?」
「イズミの家から」
なぜそれがそこにあるのだ。言われてみれば確かにそれは俺の家に置いてあるボウルだ。軟禁される前に持ってきていたのだろうか。それにしても嵩張るような気がする。ただ、彼女のコートは何でも入れられるからあっても不思議ではない。
「いつ持ってきたの?」
「さっき、必要だったから」
何に使う気だろうか。いや、そんなことはどうでもいい。目下一番気になるのは、
「え、どうやって帰ったの?」
「このコートで。移動魔法とは次元が違うから、足はつかない。たぶん」
忘れていた。俺は思わず後頭部を掻きむしった。
彼女は移動魔法が使えないが、長距離移動にはコートを使っていた。移動魔法のようにポータルを開くわけではなく、よくわからない高次元世界を経由して自宅のクローゼットをつないでいるから確かに足が付かないかもしれない。
「早く言ってよ! ……いや、軟禁対象がいきなりいなくなったらまずいだろう。攻め込まれそうな勢いだ。とりあえずみんなには黙っておこう」
正直なところ、オージーだけでも帰らせてあげたいのはやまやまだが、そういうわけにはいかない。確実に捕まらない脱走方法だが、全員がここにいることに意味があるのだ。首都に不穏な空気をもたらし、国際問題になりかねない。
「今度俺の家に戻ったらキューディラでアンネリにオージーは生きていて、南にいて帰れないと伝えておいてくれ。で、できる限り早くここに戻って」
そういうと、彼女は小さく頷いた。これでアンネリの不安を少しでも解消できればいいのだが。
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