仮初めの宮中にて 第二十六話
初日以降、私はメイドさんに欠かさず声をかけ続けていた。
話しかけても首を振るばかりなので、食事の度、朝の支度の度、夜の眠る前の度、ことあるごとに手厚くしてくれたことに礼を伝えていた。
そのような日が数日続いたある日。変化は訪れたのだ。
朝の支度をしている途中、読んでいた書類を一枚を落としてしまった。髪はセットの途中であり、頭を動かすことは出来ない。
髪を梳かしていたメイドさんが一度手を止めてそれを拾い上げてくれたのだ。
受け取ると同時に習慣づけられた行動で「ありがとうね」と目を見て微笑みかけた。
いつも通り返答などないと思い、紙を見たが視線を感じた。気になり、再び眩しい鏡の方を見ると鏡越しにそのメイドさんと目が合った。
「礼は主人が使用人に対して言うものではありません」
鏡越しに見えた薄く紅を差していたその唇は確かに動いていた。
いつも顔を出すメイドさんの一人がついに、そして初めて口を開いたのだ。
突然のことに驚いて口を開けたまま止まってしまった。しかし、これは最初の一歩である。確実に掴まなければいけない。
「本来なら自分でも出来て当たり前のことをしてくれたのに、それに礼を言わないというのはおかしいと思いますが」
突然のことだったので、焦りによりやや早口になってしまった。
「使用人にとって、それはして当たり前のことです。毎度そうしていては、なめられますよ」
そのメイドさんは鏡越しの視線を外すと再び髪を梳かし始めた。
「なめるのは結構です。盗む壊すなど誰かの心を傷つけるようなをしないで、最低限の仕事をキチンとこなしさえすればいいのです。
もちろん、陰口をたたくのも自由。それが本人の耳に入りさえしなければ誰も傷つけない。
ですが、この数日見てきた限り、主人をなめるような使用人はここにはいませんよ。
あくまで私の見解ですけどね」
「信頼されていること、光栄に思います」
「あなた、お名前は?」
再び手を止めると、一歩下がり上品にカーテシーをした。そして、「マフレナ・クシフスカと申します」と名乗った。
こうもあっさりと答えてくれるとは思わなかった。もしかすると、これまでもこうして名前を尋ねれば答えてくれたのかもしれない。
使用人ということで名前を聞かずに任せていたことを少し恥じた。




