血潮伝う金床の星 第四話
軟禁三日目の昼前。
「イ、イイ、イズミ……、あ、ああ、あの可愛らしい男の子は、どっ、どなだた?」
屋敷内での情報収集するためにカミュを連れて廊下を歩いているときのことだ。彼女は突然震えた奇声を発したかと思うと鼻息を荒くして窓ガラスに爪を立てた。手はカタカタと小刻みに震えている。
焦がしてしまいそうな視線の先には十歳くらいの男の子がいた。色こそ違うが見覚えのあるウェーブがかった髪はシロークのものと瓜二つで、すぐに誰だかわかった。カミュが見つめている男の子はマリーク。マリーク・ギンスブルグ。中庭で一人ぼっちで遊んでいる様子だ。過保護で学校以外ではあまり外に出してもらえていないのだろうか。
「ん? ああ、あれは確か、シロークと前妻マリアムネの息子のマリークだよ。確か十歳かそのくら……あ」
はっははっはと鼻息で窓ガラスを曇らせる彼女の姿は、まるで網戸越しのカマキリを狙うときにしゃべりだす猫のようだ。そうだった。カミュは小さい男の子が大好きなのだ。
「お、ぉ近づきになってくゆ!」
欲望に駆られた瞳でクワッと俺を見つめた。
「いや、いいけどさ……。短パン脱がしたり、変なこと教えたりイタズラしちゃダメだよ? 一応、敵方の大将の息子だからね?」
「ふしっ、なっ、なな何を失礼な!? 私を誰だと思っているのだ!? カミーユ・ヴィトー、栄誉ある金融協会の頭取の娘だぞ!」
口元を手で拭った。口調が戦闘時のようになっている。どうやら興奮状態のようだ。
探索は一人でもできるから、行ってきても構わないと彼女に言うと走り出していた。そして窓を再び見ると、カミュの姿がすでに彼の目の前にあった。
マリークに一歩一歩近づいている。前かがみになり、両手を前に突き出し、引きつった笑顔で近づく姿はどうみても不審者だ。近づく不審者に彼は上体をのけぞらせている。
そして、ついに走り出したマリークをカミュは追いかけ始めて、窓からは見えない建物の陰へと入っていってしまった。
マリークのもとへと行ってしまったカミュの代わりにアニエスを誘うことにした。
彼女の部屋のドアをノックすると、どうぞ、と聞こえたので開けると、開け放した窓の傍に椅子があった。アニエスは外を見ていたようだ。天気のいい夏の日で、山の手にあるこの屋敷は気持ちの良い風が駆け抜けている。
しかし、彼女は少し元気がない。食事もきちんと食べているし、電気を消して夜もきちんと眠れているようなのだが、どことなく肩が下がっているような気がする。
「アニエス、少し散歩しよう。と言っても情報収集なんだけどね」
「いいですよ。行きましょう!」
だが、話しかけると、ぱっと表情を変えてしまうのだ。引っ込み思案なようで自分のしたいことははっきりと言うので芯は強いのだが、悩み事についてはあまり言わないのだ。人に心配かけまいと気遣っているのだろう。こういうとき、俺はどうやって聞き出したらいいのかわからない。だから直接聞くしかできないのだ。そのために俺は彼女を情報収集に誘ったのだ。
涼しい顔をしたカミュがマリークを肩車しながら砂ぼこりを上げて全力疾走している庭先を、並んで歩きながら彼女と話をした。
「電気には慣れた?」
そう尋ねると人差し指を下唇に当て、思い出すように上を向いた。
「電気ですか……。あれは明るくてとてもいいものですね。読める本がないのが残念ですが、読書にはもってこいですね! でも、眩しくて少し落ち着かないです」
「そうだよね。マジックアイテムの照明は暗くはないけど、優しい明るさだからね」
「照明が明るいと、なんだか夜が長く感じます。夜が暗くなるのを感じられないのに、窓の外はどんどん暗くなっていって、自分だけ取り残されているような気がして一人で部屋にいると少し……寂しいです」
歩く速さが少し遅くなり、歩幅を小さくして彼女に並んだ。
「実家帰りたい?」
「実家もいいですが、やはりイズミさんのところに帰りたいですね。狭いですがいいところだと思います」
「ぐっ、もう少し広いとこに越すか……。せめて三部屋とリビングがあるところに。着替えとかの度に外に出るのはちょっとね」
「ふふふ、構いませんよ。実家にいたときみたいに常にだれかの気配があるって、いいことだと思います」
わああああはははは! とマリークの悲鳴のような歓声が近づいては遠ざかっていく。立ち止まると、窓に手を当ててその光景をアニエスは遠めに見ている。
「……私、なんだか怖がられているみたいです」
本題がきた。おそらく元気のない直接的な原因だろう。俺も立ち止まり彼女の前へ出ると、向かい合い目をまっすぐ見つめた。
皆が怖がるということについて、思い当たる節はいくつかある。ユリナがアニエスのことを『一番ヤベェ奴』と言ったり、シロークが「君のところの赤髪の」と言いかけたりしたことだ。眉毛を八の字にして彼女は笑いながら言った。
「女中さんも秘書の方も、私が話しかけると怖がるんです。何かしたんですかね?私」
「名門を首席で卒業した強さがわかっちゃうんじゃない?」
ズレたことを言ってしまった。何を言っているのだ俺は、と少し後悔した。
「首席、ですか……。そんなものは皆勤して、与えられたカリキュラムの中での成績さえよければ誰でもなれます。実際、エノレアには私より強い子はいましたし。心当たりがないのに、避けられるのは悲しいです」
「それであんまり部屋から出ないの?」
小さく頷いた。主席になるのは大変だぞ。だが皆勤もよい成績も、真面目な彼女にとっては当たり前なのだろう。その真面目さゆえに、人一倍他人の表情を窺ってしまうのだろう。
「ここは正直に言うけど、シロークもユリナも、何か知っている風なんだよね。でも、たぶんそれはアニエス個人のことじゃない気がするんだ。個人に対してだとしたら、もっと、こう、なんだろうな……」
「腫物扱い?」
彼女は首をかしげた。
「そんな感じ。にすると思うんだよね。でも、腫物扱いってわけではないような……。いずれにせよ、早めに情報を集めて戻れるようにしよう」
「そうですね。それから……」
「なに?」
一歩近づくと、下から上目遣いをしてきた。
「イズミさんの部屋に行ってもいいですか? なんだか、同じ部屋で寝ていないといつもと違う感じがして」
「それはダメ」
ダメに決まっている。軟禁とは言え俺たちは暢気すぎるところがある。俺もアニエスも、初日からソファで無警戒に爆睡したり、カミュはマリークを追いかけまわしたり、自由が保障されているとはいえ囚われの身であるという自覚があるとは思えない。
かと言って、レアのように堅苦しく部屋で正座でもしていればいいわけでもないのだが。それに、仲間もいる状態で、夫婦でもない年の近い男と女が同じ部屋で寝ているとなると色々角が立つような気がするのだ。修学旅行で夜這いをかける高校生のようで。しかし、ダメと即答したが彼女は食い下がった。
「なぜですか? 家だとすぐそばなのに?」
「いや、ほら、なんかさ。出先だし……。それにあんまり集まるなって。とりあえず今日は屋敷の図書室に行ってみよう。今朝、鍵が開いてたから入れそうだ」
「……意気地なし」
アニエスの小さな声が聞こえたが、聞こえなかったふりをして顔も見ずに彼女の手を引っ張った。
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