血潮伝う金床の星 第二話
閉じ込められてどれくらいたっただろうか。二、三時間は経過しているだろう。時計の音すらしないこの部屋の時間感覚は、経験と腹の虫だけだ。窓の外はまだ明るく、風に揺れる木々が見えている。
オージーは組んだ足の先をパタパタ動かしていて、少し落ち着きがない。ククーシュカは窓辺に椅子を動かして外をぼんやり見続けていた。眺めがよく、首都の様子が少し見えるようだ。アニエスがピッチャーから水を移して飲もうとしたとき、レアがそれを止めた。
「飲まないほうがいいですよ。ここは敵地です。毒殺する可能性もあります」
えっ、と言って不安な顔をしてアニエスはコップをテーブルに戻した。
「大丈夫」
しかし、それを見ていたククーシュカが窓辺からピッチャーを見つめながら言った。
「それに毒は入っていない。彼らは賢い。商会と協会の上層部関係者を安易に殺してしまうとは思えない。リスクが高すぎる。人間の性格を当てにするのは間違っているけれど、彼らの性格的にそれはしない。それに、その水はさっきユリナが飲んでいた。おそらく毒殺の意思はないと示したのではないかと思う」
「確かに、そうですね。でも、万が一のことがあります」
「不安なら私が最初に飲む。今までに毒を盛られたこともあるし、盛るために学んだこともあるからすぐにわかる」
そういうとククーシュカはコップに移し替え飲み始めた。
「……はぁ……冷たくておいしい水。問題ない。硬水だから、飲む人次第ではお腹を下すかもしれないわね」
レアはあまり信用していない様子だが、アニエスは彼女を信じたのか飲み始めた。同居している分、彼女を見る機会が多く、大丈夫だと思ったのだろう。
俺も喉が渇いていたので、アニエスのコップのものをそのまま貰った。
さらに時間が経った。水を飲んだ人間に変化はない。だが、そろそろ日が暮れてくるのではないだろうか。西日が差し込む窓から外を見ると、光の中に午後の白くなった空が見えた。窓の前に座るククーシュカは眩しくないのだろうか。
戦闘の余韻も完全に収まり、移動魔法の連続使用によりくたびれた体に眠気が迫ってきた。するとレアがソファの横に腰かけてきた。半分寝ぼけたような状態で彼女に尋ねた。
「どこまで知ってたの?」
「……ごめんなさい。共和制になっていて国王がいないことまで知っていました。意図的に隠していたわけではありません。あなたたち勇者が義務を果たすためにはこの事実に誰しもぶつかるはずで言う必要がないからです」
申し訳なさそうにしている彼女は、ストスリア郊外でシロークの名前を聞いたとき、つまり最初から何か知っている風だった。長い間秘密を守り、それがバレてしまう前に依頼を終わらせてしまいたかったのだろう。疲労の色もにじんでいる。だが、同時に少しスッキリしたのではないだろうか。
「だったらもっとみんな知ってるはずだけど……。年一の集会でもそんなの聞いたことない」
それを聞いた彼女は俯いた。
「残念です。それが、どういうことかわかりますか? 年老いた持つ者(勇者たち)が現状で何年も義務を全く果たしておらず、真実に至ったものは少ないということなのです。現状で把握しているのは数名かと。本来まず知るべき彼らよりも、政府中枢や諜報機関のほうが詳しい有様です。特別ではあるけれど基本的には民間人である彼は、与えられた力を自分のためにしか使わない輩しか……いないんです」
なるほど、そういうことか。かつて従軍したアルフレッドは知っているはずだ。数少ない真実を知るものだろう。だが、あえて言わなかったのは自分たちで気づきなさいということだろう。それでも俺を気遣い本当に行くのかと繰り返し尋ねたのは、敵を殺すことにためらいを持つ弱い俺が、さらなる真実を目の当たりにし、そしてそれを受け入れられるのか、という心配もしていたからに違いない。
俺はかなり情けない顔をしていたのだろう。レアは悲しそうな顔をこちらに向けてきた。
「しかし、シロークの妻がユリナで、そして彼女が軍の最高責任者だとは知りませんでした」
「それは、仕方ない……でしょ……」
*
気が付けば、役員女神のいつもの暗闇の中にいた。この場所は喫煙所のようだ。綿が飛び出たぼろぼろの丸椅子と赤い吸い殻入れと見慣れたものが闇の中にぽっかりと浮いている。
しばらくすると、暗闇の中から足音がして、目の前に女神が現れた。顔に表情は無く、眉のあたりを掻いている。
「あら? 呼んだ? 魔王城の居心地はいかがかしら?」
今回は呼び出されたのではない。俺が呼び出したのだ。ユリナに遭遇して以降、落ち着いたタイミングがなく聞けなかったが、役員女神にはすぐにでも聞いておきたいことが山のようにあったので彼女を呼び出したのだ。
だが、彼女の口ぶりでは俺たちがエルフと遭遇し、本拠地にいることは知っている様子だ。
「あの、」
「そうやってさ」
言いかけると遮られてしまった。そして、電子タバコをつけると丸椅子に勢いよく座った。
「全部人が言ってくれると思ってんの? そりゃ確かに言ったほうが早いわよ? 最近さ、パワハラとかあるけど、そんなんでいいと思ってんの?」
「ごめんなさい」
言ってくれれば早いのは事実だ。だが、自分たちで知らなければいけないこともある。この世界について無知であるにも関わらず、何も知ろうとしなかった俺が悪いのは明らかだ。
女神は少し怒ったように早口になり、話をつづけた。
「だいたいさ、敵の姿はおろか、戦争している国すら知らないってなんなのかしら。聞いてびっくりしたわ」
言葉が出てこない。冷たい態度を取られているが、仕方がない。
一本目が終わると女神はスティックを交換した。しかし、充電が切れてしまったのか、小さい声で、あら、と言うと電子タバコをしまってポケットからつぶれかけた赤い丸の箱を取り出してトントン叩いた。すると一本がひょいと顔を出した。
「ずーっと前にさ、あたしじゃないけど、別の子が呼び出されてさ。何年かおきで入れ替わりで担当してるのよ。でも、一向に終わる気配無くて腫物扱いなのよ、この世界。かといって窓際に任せればいいかって、そういうわけでもないの」
燻らせる煙を目で追っている。
「あの、女神さまたちは人間になんて呼び出されたんですか?」
「人間に争いのない平和をもたらしてくれって言われて、遥か昔のあんたたちが呼び出したの。そんで勇者システムを作ったわけ。でも、その勇者も誰でもなれるわけではないようにしたんだってさ。力の均衡を名目にして。実際はサクセスストーリーがあったほうが面白いからって、平民以下の中からしか選ばないようにしたの。それがあだになったのか、何にもできないまま終わるの。全員。ここではアーサー王は剣を抜いても無名のまま死ぬの。で、ちょっと前に一度試験的に上流階級をしたことがあったんだけど、何が起きたを思う? 同類同士でザ・殺し合い。人間て平和にする気なんてあるのかしらね」
呆れかえる様に女神はくわえたまま天を仰ぎ見ている。チリチリと燃えて落ちてしまいそうな灰が危なっかしい。その姿は、もう諦めているかのように虚しそうで、見ている俺まで胸が痛む思いがした。もし、このまま誰かが何もしなければ、いずれこの女神も交代の時期が来て、永い永い時間を無駄にして何の成果も実績も上げられなかった挙句、彼女はまたどこかへ移っていってしまうのだろう。そして二度と関わることもなく、この世界も俺も忘れら去られていくのだろう。
この勇者と女神のシステムは、もしかして運用方法が間違っているのではないだろうか。
戦争が起きたなら、国と国が戦う。そして、本来ならその戦いの中で英雄が生まれてくるはずだ。しかし、勇者は最初から英雄として決められている。
何が間違っているのか。このシステムは個人での活躍ではなく、民衆を率いるリーダーの育成を目的としていたのではないだろうか。しかし、王侯貴族の階級社会や、スヴェンニー迫害のような差別や偏見などの何らかの理由でリーダーとなることができない。だから個人でやらざるを得ず、限界にぶつかり、そしてみんな腐っていくのではないだろうか。
英雄でもない人が突然英雄並みの力を与えられるとどうなるか。様々な葛藤を乗り越えて作り上げられたものではない、その偽物の力はどこへ向かうのか。そして、立ちはだかる壁のせいで与えられた力にふさわしい地位まで上り詰められないとどうなってしまうのか、それがよく分かった気がする。
女神は鼻から息を吸い込むと、前を向いて乾いた視線を送ってきた。そして、
「あんたさ、なんでこんな優遇してるかわかる?」
と、小さな声で物憂げに言った。
「わかりません。俺は勇者の末席を汚すものでしかないです」
そ、と吐息のように漏らすと悲しそうになった。そして、まだ半分以上ある吸殻を吸い殻入れに押し付けて捨てると丸椅子から立ち上がり、背を向けて暗闇に入っていった。
「期待してんのよ。頼むわね」
俺は気が付いた。
やらない、成し遂げない人間の、「末席を汚すもの」というのはただの言い訳にすぎないことに。何度覚悟を決めても、人の根元にあるものは変わらない。そうやって謙遜したふりをして、何かを成し遂げない理由を見つけようとしていたのだ。
自分にはできない。自分は小さな人間だ。だから、せめて謙遜しておこう。そのあとに続く言葉は『そうすればできなくても文句は言われない』なのだ。やらない人間はいつもそうだ。言葉には出さないが、確実に思っていることだ。
情けないと思わないか。恥ずかしいと思わないか。
こぶしに爪が食い込んだ。
俺は決めた。
人類とエルフに和平をもたらして、このシステムを自分の代で終わらせよう。
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