ツヴァイターラングロジェの銃声 第二話
マゼルソンは貸し切りのボックス席の前方に一人で座っていた。横に立った俺を足下から頭の先まで舐めるように見た。そして、前を向くとふんと鼻を鳴らした。
「よく似合っているぞ。しかし、外はかなりの雨だったはずだが、君の制服の裾は濡れていないようだ。不思議なこともあるのだな」
「言わなくても分かると思いますが」
「ここは暗くてちょうど良い席だ。誰が話していようとも下の席からは気がつかれまい。狙撃にももってこいのシートだ」
“モルティエ大通り一四一番の貴婦人”がテロに巻き込まれ亡くなったのは、確かこのオペラ座だったはず。
その貴婦人が誰とは聞いていない。だが、俺はそれがルシールだろうと察しが付く。
この人は何が目的なのか。かつての恋人を誤射した狙撃手への意味の無い当てつけでもしているのだろうか。
「君は“トゥーランドット”というのを知っているかね?」
俺がそれを知っていることを確かめるようにマゼルソンは尋ねてきた。
言わずもがなトゥーランドットは元の世界の傑作だ。
マゼルソンが何故それを知っているのか、疑問に思いたいところだが、そうはならなかった。
かつてこの国にいてマゼルソンの知り合い、ないし恋人であったルシールは、おそらくフランス出身だ。彼女がこの世界に伝えたのだろう。
「アリアはよく知ってます。……ルシールさんですか?」
尋ね返すとマゼルソンは頷いた。
「そうだ。彼女が私に与えたものはシャンソンだけではない。オペラとは素晴らしいものだ。今まさにこの劇場で公演されている」
マゼルソンの視線の先にある舞台の中心で、やや体つきの良い髭の生えたエルフの男がエキゾチックな格好をして、ルーア共和国でも連盟政府でも見たことも無いような赤や黄色、それから緑など色とりどりな派手の格子柄の背景の前で、喉を震わせている。
「“誰も寝てはならぬ”は有名ですが、トゥーランドット自体がどういう話かは知りません」
マゼルソンは首を動かし俺を少し小馬鹿にしたように見つめたあと、顔を舞台の方へ戻し歌う男を見た。
「とある国の美しいが冷たい姫君トゥーランドットは尋ねてくる求婚者に謎解きをさせていた。解けぬ者の首を次々はねた。
とある王子は全ての謎を解くことが出来た。謎の答えは希望、血潮、そして、トゥーランドット。
しかし、トゥーランドットは求婚を拒んだ。そこでその王子は姫君に謎解きをさせた。
夜明けまでに私の名前を知ることができれば、私の命は姫に捧げると。
姫はその王子の名を知るために町中の民に夜明けまで寝てはならぬと言いつけ、名前を知る者を探した。
その王子に思いを寄せていたとある一人の女奴隷はその名を知っていたので拷問を受けることになった。
しかし、奴隷は喋ることはなかった。姫はなぜか頑なに言わないのかと尋ねると、“愛”だと言ったのだ。
そして、王子は姫と二人きりになったとき、自ら姫に名前を教えた。姫は勝利を宣言したが、王子の名前は“愛”と声高らかに叫び、二人は結ばれた」




