マティーニに銃弾を 第二話
閣下の視線の先では、横に長く黒い何かが晴れたノルデンヴィズの町の上を旋回している。ハヤブサが飛んでいるようだ。餌を探しているのか、時折首を動かし地上を注意深く探っている。
「ハヤブサですか」と尋ねると、
「ノルデンヴィズは新市街地の拡張に伴って高層建築物が増えてきた。早雪の間、ルーア共和国にいた彼らが戻ってきて、監視塔に営巣して増えているそうだ」と閣下はそれを目で追ったまま答えた。
「市街地には人も増えてネズミも増えましたからね」
しばらく黙ったままの背中を見ていた。ハヤブサの姿が見えなくなると、「さて」とこちらを振り返った。
「今朝方通報のあった内通者の身柄はどうなったか?」
「イズミさんは既に逃亡していました。おそらく、通報してきた共和国軍が連れて行ったのでしょう。そうなってしまっては、もう足取りを追うことは出来ないでしょう」
「なるほど。通報した上で誘拐か。非公式に抗議だけは一応しておこう。
それは、そちらの都合ではどうなのかね? 我々北公・ルスラニア王国のシーヴェルニ・ソージヴァルは無関係だと言いたいところだが、事態の中心にはアニエス下将が関与している。
将官ともなればこちらも無視とは行かない」
そちら、とはつまり共和国側での都合だ。言わずもがな、全て順調である。
だが、北公は共和国とは彼らが認めたとおりに他国であり、そして、私は今はムーバリ・ヒュランデルだ。モンタンとしての情報を閣下に伝えることはできない。
私は表情を変えずに黙り込み、瞬きさえもしなかった。
閣下は黙ったまま、同じく黙り込み動くことさえしない私を見つめた。
しばしの睨み合いの後「言うわけも無いとは分かっている」と全てを理解したかのように言った。
「だが、惚けもせず何も言わないということは問題は無いと言うことだな。こちらへの不利益はないとみた。
ところで話は変わるが、君は今、内通者身柄確保を失敗した。そこで、責任を取って君はしばらく謹慎したまえ」
自由に動くための有給は“白き王家の遺産計画”でとっくに使い切ってしまった。となればいよいよ謹慎しかない。
内通者の捕まえ損ないで私は謹慎。基地で見かけなくても不自然ではない。
かしこまりました、と敬礼をしようとしたが、ノックも無しにドアが開く音がしたのですぐさま止めて、銃を持ち上げて引き金に指をかけた。
「閣下、ムーバリとか言う者をただの謹慎程度で済ませてしまうのは感心しませんな」
そこにはヘルツシュプリング元上将がいた。今は下佐に降格され、なおかつ謹慎中のはず。にも関わらず、徽章も何も付いてない簡素な見た目になった軍服を着てここに現れたのだ。
徽章がなくなりさっぱりとした軍服は貧相であり、着ている軍服自体が元はといえば将官仕様であることでさらに貧相さを煽っている。
昔を忘れられない老兵がふらふらと基地に現れたかのようだ。
ヘルツシュプリングは「おや、スパイの小僧は、元とは言え上官であったこの私に随分と失礼な態度を取るのだな」と向けられた拳銃と私の顔を交互に睨みつけた。
閣下は「誰が下級士官をここに入れていいといった」と無表情でヘルツシュプリングに言い放った。
だが、ヘルツシュプリングは動じることなく部屋の中へと足を進ませ、「下級とは酷いですな、閣下。私は下佐ですよ。これからも閣下にお仕えする将官でございます」とハッハと目を細めて軽く笑った。
「謹慎中で士官と呼ぶのもおこがましい者は口を開くな。名将堕ちて驕り満ちる。残念だが、本部の三階より上に居場所はない。ヘルツシュプリング下佐。出て行って貰おう」
閣下は苛立ち始め、やや強い言葉になった。しかし、ヘルツシュプリングは相変わらず笑顔のままだ。
「そう仰らずに。私はこのムーバリというどこのウマの骨ともしれない男に任せようとしている極秘任務を、私の部下たちに任せたいのです」




