慟哭の痕 最終話
「おい、どういうことだ。それは俺にアニエスを殺す手助けをしろってのか?」
「ああ、そうだ。お前にも殺すのを手伝って貰う。いや、お前が殺せ。それが出来なきゃ自殺させろ」
俺は杖を持ち上げてユリナに向けた。
ユリナは上着の襟を正したあと、ゆっくりと顎を上げて見下すようにして、首だけを曲げてこちらを見た。
「お、なんだ。やる気か?」と杖先と俺の顔を交互に見てドスの利いた声で言った。だが、杖は抜かなかった。
「俺への当てつけか?」
ユリナは前を向き、ポケットから白い手袋を取り出して嵌めた。完全に背中を向けて、隙だらけの行動をしているが、隙が全く無い。まるであえて隙を見せているようにも見える。
ウィンストンがドアを開けると、外から冷たい風と降り始めて舞う雪の粉が入り込んできた。
白一色の世界で反射して強まった銀色の光の中へユリナが立つと、共和国軍のコートの色は逆光に飲み込まれ黒い影だけになった。
「当てつけじゃねぇよ。
お前みたいな治癒魔法がうまく使えるだけで重要人物ヅラする様な調子こいた一市民に、国家の長がわざわざ家まで尋ねてきて当てつけなんざするか、ボケ。
今度皇帝になるヤツがお前の知り合いってのを利用させて貰いたいだけだ。
帝政ルーアは共和国にとって潰すべき悪霊。それを排除するには皇帝を殺すのが一番」
「知り合い程度でまとめるな。俺の大事な家族……だった。そんなことはさせてたまるか」
身体の何倍にも大きく見えるその影に向けて、俺は脅すように杖先を振った。
「じゃあお前は帝政ルーアの亡霊を許すってのか?」
「俺は帝政ルーアが何をしてきたのかなんざ知りもしない。
確かに、アニエスの存在は帝政思想をざわつかせる。本人と関係がないところであってもな。
それとこれとは別だ。アニエスはアニエスだ。自分の家族が殺されるというなら、俺は助けるだけだ。
セシリアの件で思い知った。女王だろうが皇帝だろうが何だろうが、それが一人の人間であることにな。
殺したくなるほどむかつく奴はいるが、それでも殺されていいやつなんてのは存在しない。
あんたは俺をけしかけられなくても、他の誰かを使って殺す。なら、この場であんたを止める」
ユリナは何も答えずにドアの方へと歩みだした。そして、「ウィンストン、やれ」と言って白い手袋を嵌めた右手を挙げ、二回ほど振った。
すぐさま首筋に強烈な衝撃が走り、視界が真っ暗になった。
いつの間にか背後に移動していたウィンストンの強烈な手刀が首筋に入ったのだ。
ユリナにばかり視線を集めていて、周囲を警戒していなかった。
だが、その暗闇の中、消えていく意識の最後まで残っていた聴覚が
「イズミ殿、よく考えてください。奥方がこうして作戦の全てをあなたに伝えようとしていると言うことの意味を」
というウィンストンの囁き声を拾った。




