シロークは妻に懊悩する 第十一話
ユリナが近づく直前、俺は走りながら「そーれ」と杖を振った。すると、いつかと同じ黒い球が現れてゆっくり飛んでいった。しかし、おせぇ、とユリナがそれをはじいてしまった。それは天高く飛んでいった。
いきなり速攻だ。隙すらできないか。走る方角を変えた。まずは状況の、特に地形の確認だ。俺は一目散に逃げた。
「いまさらビビったのかァ! チンカスインポ野郎ォがよォォォ!」
土埃を上げて、ユリナが方向を変えて突進してきた。
「チビんのはションベンだけにしな! クソ漏らすンならブリーフん中だけにしとけやァ! オラァ!」
どれだけ口が悪いのだろうか。走りながら呆れてしまった。それどころか下品過ぎて笑える。
天気は晴れ。乾燥気味で砂ぼこりがよくたつ。練兵場は広い。戦っている辺りは砂地だが、はるか遠くに森が見える。しかし、そこに着くまでに追いつかれてしまうだろう。隠れ場所のない砂地で戦うしかない。砂ぼこりは煙幕に使えるが、自分も相手が見えない。それに魔法ですぐに吹き飛ばされてしまうから実用性は低い。それどころか逆手に取られかねない。
ちらりと背後を見ると、もうすぐそばまで来ていたので、俺は杖を横に構えて防御態勢に入った。それを見て加速したユリナと衝突した。打撃音としびれ、相変わらずものすごい力だ。
「たかだか二、三週間でシロークのこと知った風なツラすんなや!」
「俺は何にも知らん!」
「じゃ首突っ込むなっつってンだよ!」
「なんも知らないけど、いいやつだってことぐらいは知ってんだよ!」
わずかに力が抜けた瞬間、ユリナをはじき背後に下がった。それと同時にポータルを開いた。
“ここ”から家には帰れない。ここがどこかわからないし、家からここまで自分の足できたわけではないからだ。しかし、さっきいた場所から見えていた”そこ”へは、歩いてでも走ってでも自分の足で一度でも行きさえすれば、その短い間でだけで移動魔法が使える。
俺とユリナの決定的な違いは、移動魔法が使えるか否かだ。
俺を練兵場へと強引に飛ばすときに移動魔法を使った。直前に腰のアクセサリーをいじっていたので、それはマジックアイテムなのだろう。つまり、彼女はアイテムなしでは移動魔法は使えない。
そして、ユリナはさっき荷物を降ろしていた。そのときにマジックアイテムも置いていたことははっきり見えた。彼女がもしそれを置いていなかったらと思うとゾッとするが、使う際に押すという動作が一つ増えて、それが隙にもなる。だが、もう関係ない。
ポータルの先は最初から走り回っていた足跡の上だ。そして彼女の背後だ。
俺は火炎魔法を彼女に向って放った。勢いで土埃が晴れると、彼女に命中したのが見えた。
「テメェ! クソが!」
「ここなら本気でいいんだろ!?」
と言った瞬間、火の玉が返ってきた。
「お返しだァ! イカ賢者! そこでキンタマ掻きむしってろ!」
受けきれずに地に膝をついてしまった。俺が怯んだのを見たユリナが距離を一瞬でつめ、杖を振り上げた。
俺は足元に咄嗟にポータルを開いた。
少し離れたところに出ると、先ほど杖でたたきつけられた地面は吹き飛び、五メートルほどのクレーターができていた。
「これで終わりじゃねェよなァ……」
そういうと再び、火の玉を撃ってきた。連続してポータルを開いてさらに避ける。
しかし、繰り返すうちに彼女の反応が早くなっていった。
気持ちが悪い。移動魔法の使用回数上限を意識するほど使ったことがない。
どうやら無制限に使えるわけではないようだ。使うほどに気持ちが悪くなる。目が回る。遅くなる。
そして、ついに俺はポータルの先に回られてしまった。
「テメェ、走った跡の上に移動してンだろ。それに距離を取るために対角線上に出てることもバレてんぞ」
出て間もなく、ユリナのニヤけた顔が目の前にあった。俺は杖で彼女の打撃を受けなければならなくなった。あまりもにも打撃を受け過ぎた。受けるたびに杖も体もがきしむ音がする。めまいも激しい。
「そんな、感情に任せてキレ散らすとか、シバサキとなにひとつかわんねーんだよ!」
「ふざっけんな! 私とあいつを一緒にすんな! 動揺誘ってんのかァ! あ!?」
俺は何とか押し返し、背後にポータルを開いた。押し返した勢いでポータルを出た。すでに先回りされると構えたが、そこにユリナはいなかった。
「ポータルで移動しまくりやがって、もぐらたたきじゃねーんだぞ! 脳ミソの沸騰に気ィ付けな!」
どうやら広範囲の魔法を使うようだ。詠唱に入っている。それももはや終わり、びりびりと稲妻が彼女の周りを取り巻いている。
詠唱が終わったのか、杖を大きく振りかぶった。その瞬間、俺は彼女の足元にポータルを開き、俺の真後ろに落とした。入れ替わる様に自分の足元にポータルを開き、落ちるように移動した。
稲妻の爆音が響き渡り、土埃があがった。すさまじい爆発で高々と上がった砂ぼこりの中から何かが二つ落ちてくる影が見えた。
はっきり見えてくるとその一つは土にまみれたユリナだった。
「今のはキいたぜェ!」
地面に着く瞬間、またポータルを開いた。ユリナも息が上がっている。間違いない。お互い限界が近いはずだ。あと、あと一回だ。あと一回、移動魔法が使えれば。
しかし、出た先にはすでにユリナが待ち構えていた。逆光の中で息の上がった肩の影が見える。間もなく杖が振り上げられた。構えなければと力むも、足腰に力が入らず立つことすらままならない。
「よぉ、ゴールデンシャベルは見つかったか?」
勝利を確信したユリナの顔が、めまいで歪む視界の中に浮かんでいる。おそらくこの一撃で終わりだ。俺は覚悟を決めた。
「あったぜ。あんたの後ろにな」
俺は足元にだいぶ遠くに離れてしまった最初の場所へポータルを開いた。
背後を振り返ったユリナに、開始早々に撃ったあの質の悪い黒い球が落ちてくるのを見届けた。
閉じる直前にユリナの悲しそうな顔が見えて、咄嗟に手を伸ばしたが、虚しく閉じてしまった。
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