シロークは妻に懊悩する 第十話
「こうなってしまってはもう隠しては仕方がありませんね」
レアの話はそう始まった。やはり多くの秘密を知っていたようだ。彼女の説明が始まる前、リナことユリナが説明をしていた。しかし、俺が世間知らず過ぎていることと乱暴な言葉遣いのせいで理解が追いつかず、話にならないと喚き散らされてレアにバトンが渡された。
「ゲンズブール家、正しくは、ギンスブルク家は私たち連盟政府と敵対している国のルーア・メレデントの名家の一つです。そして、人間ではありません。いわゆるエルフです」
エルフは敵の魔物と聞いてきた。かつてのゴブリンやあのイノシシ、カビを吐く巨大な虫は魔物であり、目の前にいるこの男も連盟政府の市民の中では同じ魔物なのだ。
ケダモノそのもののようだったり、逆に妙に文明的だったりと一貫性がなく、確かに違和感を覚えていた。その居心地の悪さゆえに無視し続けていたが、それがどういうことかはっきりと理解できた。連盟政府の印象操作の末に起こした混同だったのだ。
そして、魔王と言うのはこの敵国ルーア・メレデントの王様、ルーア王ということなのか。
「で、私がこの共和国軍のトップなわけ」
自慢げに鼻を鳴らし、ユリナが前に出た。それにレアの顔が曇った。軍トップがフラフラ出歩いて大丈夫なのだろうか。それよりも気になるのが、『共和国』と言ったことだ。まさか、な。
シロークが及び腰で、ユリナに近づいた。
「リナ……、ちょっと言いす「ああ!? てめぇがもっさり迷子になんかなってっから悪ぃんだろ?! ゲローク!」
低い位置の彼に上から口角泡を飛ばしている。みんな黙って哀れっぽくそれを見ている。誰か止めればいい、と思うのだが、家庭の事情なので踏み込みづらいのだろう。
しかし、俺はことあるごとに彼の話を押さえつけるユリナの姿にうんざりしてしまった。クソーク、ゴミーク、ゲローク、名前一つ呼ぶにしても馬鹿にし過ぎで、クソと言う言葉を連呼することに我慢ができない。二人に近づいて、シロークに伸びていたユリナの手を掴んだ。
「さっきから、と言うかずーっと言い過ぎなんじゃない? シロークさん、委縮してるじゃないか」
「うるせぇな。いちいち人んちの事情に首突っ込むなよ。ケツ穴に杖突っ込んでカエルみたいに破裂させんぞ?」
「シロークさんの性格に付け込んで抑えつけてんのはあんただろ?可哀そうだと思わないのかよ?それに、いちいち汚ねぇんだよ。言葉遣いが」
「……あ?」
ユリナはゆらりと目の前まで来た。
「ちょっとツラ貸せ」
腰についていた何かのアクセサリーをユリナが押すと、足元に大きな穴が開いた。
気が付けば上の方に見える穴からみんながのぞき込んで何か叫んでいる。しかし、すぐに辺りが明るくなり、どさっと土の上に落ちた。
土埃が収まると、遠くに金網と宿営用天幕が見えた。さらに奥には小高い丘と森が見える。
きょろきょろと辺りを見回していると、横にポータルが開くと、ユリナが悠々と出てきた。
「ここぁルーアの練兵場だ。てめぇ腹立つからここで軽くシバいとく。クソークを連れてきた礼に殺しゃしねぇよ。うっかり殺しちまうかもしれねぇからテメェで何とかするんだな」
どうやら移動用のマジックアイテムを使って俺をここへ飛ばしたようだ。
そして彼女は戦う態勢を整えるために、杖以外の荷物を下ろした。ウォームアップをしているのか、肩をぐるぐる回している。
「勝負ってこと?」
「ぶちのめされてぇワケじゃなければそうだな」
ぞろぞろと慌てたようすの仲間たちとシロークがポータルから続いて出てきた。俺とユリナのやり取りが聞こえていたのか、アニエスが怒った。
「ふざけないでください! 勝負なんかしてどうするんですか!? イズミさん……、怪我しちゃいますよ……。やめて! やめてください!」
俺はアニエスを見つめて、手のひらで制止した。彼女は、でも、と小さく言った。俺は彼女をさらに見つめて小さく頷くと、むぅと呻りながら不安な表情をした。
「じゃあ、なんか賭けようぜ」
俺はユリナを笑いながらにらんだ。
「俺さ、シロークさんから馴れ初め聞いたんだよね。全部じゃないけど。お前、実はかなりいいやつだろ? シロツメクサの花冠なんか作っちゃって、ユリナちゃん」
下眼瞼がぴくぴくと動いている。どうやら挑発には乗りそうだ。
「俺が勝ったらおまえらオシドリ夫婦の仲直りをさせる。負けたら消えて二度と近づかないことにする。それでも気に入らなきゃ自分で杖もぶっ壊してやるよ」
しばらく何も言わなくなった。相手にしないようにこらえている様にも見える。
「……いい度胸だな。安い挑発したこと後悔させてやるよ」
ユリナは上着を脱いで構えた。先ほどとは比べ物にならないほどで、怒りが混じっている殺気だ。首筋がピリピリする。
つばを飲み込み、俺は杖を構えた。
そして、すぐにでも魔法を唱えられるように杖を前に、すぐに動けるように踏み込んだ。
合図は決めていない。その必要はない。いつ始めるかはお互いにわかっている。風が吹き抜けて、かさかさと草が揺れている。
宿営用天幕横の資材の上に置いてあった琺瑯バケツが風で揺れた。カタカタと不安定なようで今にも落ちそうになっている。
ついに、それはゆっくりと落ち始めた。
バケツが地につき、ガランと音を立てた瞬間、俺たちは同時に走り出した。
「王子様のお姫様抱っことチューが待ってるぜ!」
「雪山で吠え面かいてろ! インキンタムシァ!!」
同時に怒号を上げると、戦いが始まった。
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