慟哭の痕 第二話
早雪に負けずに絞られた新しいオリーブオイルでニンニクや唐辛子を炒めているのか食欲をそそる香ばしさが溢れていて、鼻の奥に匂いが届くと生唾を飲み込んでしまいそうなほど美味しそうな物ではあるが、俺にこれを頼んだ記憶はない。
頼んでいないにもかかわらず当たり前のように食事を運んできた。それもかなり魅力的な食事だったので、すぐに断ることもできずに困ってしまった。
距離をとるように首を後ろに下げながら女将とパスタを交互に見つめていると
「食ってきな。あんたらは前たんまりお金置いてってくれたんだ。
馬鹿な酒飲みどもが何日か続けてしこたま飲んでもおつりが出るほどにね。
おつりは返しゃしないが、しばらくタダ飯でいいよ」と言った。
続けて「あんたも節操ないね! 察しなよ、こんバカタレが!」と髭面の後頭部をひっぱたいた。
この二人の仲は相変わらず常連と女将というまま進展はないようだ。
「いや、とても遠くに、偉くなった。手が届かないほど。おそらく幸せだ。そうなることを自ら望んだんだから」と俺は二人に向けて愛想笑いをした。
この言い方では、まるで自ら命を絶ったような受け取り方をされてもおかしくない。言ってからもう少し慎重に言葉を選ぶべきだと気がついたが、すぐそばにいないことは一緒だ。それが伝わればいい。
二人がどう受け取ったかは分からないが、今この場にたまたま居ないだけではないことを理解して気まずさを覚えたようで黙りこんだ。俺はありがたいパスタにやっとフォークを付けられた。
女将は他のテーブルに呼ばれたのでその場を後にしたが、髭面は相変わらずそこにいた。
食事をするわけでもなく、持っている酒を口に付けるでもなく、何やらそわそわと視線を泳がせている。口元は緩み、何かを言いたそうにしている。
意地悪をしようとしたわけではないが、それには気がついていたが俺は食べるのを止めなかった。
すると沈黙にも堪えかねて男は「ああ、なんだ。実はだ」と髭を人差し指と親指でねじり、視線を泳がせながら話を始めた。
「お前さんがイズミだったってのは、もう知ってるんだ、みんな。
根も葉もない噂に色が付いていたんだってな。
ベスパロワ共事長(共同体書記局長)が全部話して、潔白を証明したぜ。あんたは悪くないってな」
そうなのか。確かに、以前イズミという名前の怪物が指名手配されていた。
他人事のように言えるのも、誰が作ったのかは知らないが街に張られていた手配書で俺は、230センチの大男で、赤い髪も髭もボーボーで、目玉は暗闇でも朱色に光って、睨まれた者は蒸発する、というデタラメもいいところだった。
そのおかげでほつれたコートを着ている貧弱な男である俺がイズミだなどとは誰も気がつくことはなく、強く意識したことはなかった。
特に反応も出来ず、積極的に話そうという気にもなれなかったので、とりあえずの返事として食べるのを止めて男をの方を見た。すると髭男は話を続けた。




