巨塔嗤う 第二話
「出来るわけ無かろう。鉄の壁に銃弾撃ち込む馬鹿たれは、少なくともこの演習場にいない」
殺す為に銃弾を撃ち込むべき私の眉間は、この老人にとっては鉄の壁らしい。
マゼルソンは並べられていた椅子の背もたれに手をかけ、それを支えにゆっくりと腰掛けた。
「帝政思想と帝政原理思想は全く違うものだ」
「だからネルアニサムは駆除すんな、とでも? 残念だが、実弾訓練中には区別が付かないもんでね」
「それは恐ろしい。だが、実際に思想を掲げている者たちのほとんどはルアニサムだ。うっかり死んでしまった疑わしき者たちの中にネルアニサムはいないだろうな。
私の掲げるネルアニサムをどういう思想か知っている兵士は多いが、理解した上での賛同者は少ない。
おおよそのルアニサムの連中は、自分たちの仲間内の特殊なマイノリティだと思っているのだろう。あそこを、見たまえ」
マゼルソンは首を回すと演習場の端の方を指さした。
「あそこの軍人と警備隊員。こちらを見て何かを話しているではないか。
あれはおそらく私たちが敵対していると思ってみているのだろう。
相対する者同士の間でどのような駆け引きと陰謀が話し合われているのか、興味深そうではないか」
マゼルソンの視線の先にいる二人組に焦点を合わせて目を細めた。軍人と警備隊員が、日光の眩しさでなるものではないような険しい顔をして櫓の上を睨みつけている。
「あぁ、ありゃ軍人の方は黒だ。すでに調査済み。
つい昨日も帝政思想が集まるグラントルアの歌声喫茶『カシュタン』で夜中まで熱血スピーチしてたぞ。『長官たちは自らの立場と権力の保身にしか興味はない、マゼルソンは帝政思想だがカネに目がくらみ共和制に頭を垂れた、今こそ腐った政治家を追い出して皇帝をあがめ、九芒星の金床を再び高く掲げよ』だそうだ」
「随分、詳しいな」マゼルソンは視線だけを向けてそう言った。
「“ビッグブラザー・イズ・ウォッチング・ユー”。はっはっはァ」と言いながら、人差し指をマゼルソンの方へと向けふざけた仕草を見せた。
マゼルソンは指先と私の顔を交互に見ると、「ルシールはそれが嫌いだったな。帝政が終われば監視社会が来ると危惧していた」と視線を前に戻した。
帝政思想関係はその行動の全てに枝を付けて監視はしている。だが、その場に踏み込んで彼らを逮捕するようなことはこれまでにしていない。
彼らがどこで何を言おうとも、共和国では自由が保障されている。だが、市民に具体的な被害をもたらすとなれば、それはまた別だ。
通報というシステムを生かせばいいかもしれないが、それが力を持ち始めると本来の使い方をされなくなるのだ。
自由が保障されていると「チクリ」行為というものが許容されるのである。
チクりと通報は違う。
相手を嵌めてやろうという、自分の中の他人への憎悪や優位性を得たいという願望に正義感のガワを被せてするのがチクり。明らかに悪事が行われたときにするものが通報だ。
そのようなものだけに頼ると、世間はただのチクリ合戦になる。
「枝をつける」という直接的な監視は、抑止力ともなり得る。
明らかな悪事が行われたその瞬間を第三者が確実に見ているからだ。
神の目はいつでも見ている。だが、それを直接見るのは神ではなく、神が人の目を通してその行いを見るのだ。
尤も、エルフに神はいない。神は皇帝だ。神の目は皇帝の目。
だから、神無き時代には国家による監視が必要なのだ。
テロなどの行動に移す直前に抑えれば未然に防いだことになる。だが、画策しているだけのときに捕まえればただの粛清と変わらない。
神がまだいた時代にはそれは可能だっただろう。
現代は自由が保障されている。
もちろんメデイアにも自由があり、粛清などすればそれを挙って報道する。自由である以上、衆目を集める為に内容は黄色くなっていく。
幸いにもメディアはまだ共和国内のものであり、他所の影響は受けていない。
実に難しいことなのだ。
では、未然に防ぐにはどうすればいいか。
監視さえしていれば、今しようとしている犯罪を止める為に、他でした小さな犯罪を理由に捕まえることが出来る。それは抑止力の一部となる。
だから、私は軍部省として監視システムを強化する。たといビッグブラザーならぬビッグシスターと呼ばれようとも。




