囚われに羊飼いは西へ 第四話
「レア・ベッテルハイム。お元気でしたか?」
テノーレ・レッジェーノのかすれた声で、単調だが明るくそう言った。口角も上がっているが、声色とは裏腹に眼鏡の奥の黄緑の瞳は全く笑ってはいない。
「お陰様で。ところで、あなたはどちら様ですか? お元気かと尋ねられるほどの知り合いではないと心得ますが」
この男とは初対面であり、癖で握手をしようと右手を差し出した。
「私は商会会計部門イーシュ・ケリヨートのラビノビッツと申します。私たちはあなた方ヴァーリの使徒と似たような組織ですが毛色の違う部門なので、これまで面識はありませんでしたね」
だが、男は握手をしようとはしなかった。
それもそのはずだ。商人は信頼を盾に利益追求とその場凌ぎの義理人情で動く。一度化けの皮が剥がされれば、世間でまともではないと言われる。
この連中は、その商人たちをさらに上から押さえ付けるのだ。まともであるわけがない。
そのような者が出された右手を丁寧に握り返してくるわけもない。
差し出したままの右掌を握りつぶすように拳を握り、腕を下ろしてそれを引っ込めた。
「姿の見えない会計係、イーシュ・ケリヨート。
統一された意思の元に、所属する商人は個人での行動に制限が付かないというのに、会計などと言う全体を一つの集団と見なす様な名前を持つ矛盾した存在の部門。
そして、この白亜牢に自由に出入りできることを考えれば、要するに、商会内部監査・諮問特別委員会ですか。
存在していたのですね」
商会に所属する商人たちの中でも特に商会にとって不利益をもたらした者だけを裁く機関。
捕まった者は二度と日の目を見ることが無いと専ら噂だ。出てきて話した者がいないので噂でしか無かった。
「噂で流れているとおりです。商会は所属商人たちの個を尊重していますが、組織として形を成す為にある程度のコントロールは必要なのです。そのために噂の形で真実をながしているのですよ。
あなたは私をご存じないかと思いますが、私は立場上全て存じ上げております。家柄、過去の業績、抱く思想等。
尤も、それをここで連ねるのも野暮でしょう。何せあなたは創業者直系の末裔なのですから。知らない人の方が少ない」
ラビノビッツはそういいながらにっこりと笑った。今度は目の奥も笑っていた。
自分たちが情報的に不利な立場になることはないという意図があるのだろう。
そして、「さて、早速本題に移りましょう。本日は謹慎解除の条件をお伝えしに来ました。テーブルにかけてお話を致しましょう」と不気味なまでにトーンに感情を乗せずにそう言ってきたのだ。
白いテーブルに向かい合って座ると、ラビノビッツは白いボードをテーブルに載せ開いた。そして、私の方へ向きを変え手前まで押してきた。紙は何枚かあり、最後にはサインを書くところがあった。




