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彼女が選んだもの 第一話

 ヒミンビョルグの山小屋はこんなに広かっただろうか。

 小さな子どもが走り回っていたリビングは何倍も大きくなり、角に立てば対角線を挟んだ反対側が大河の対岸にある場所のように遠く感じる。

 アサガオの種をセシリアと割ったテーブルもまるでテニスコートだ。


 広いルスラニア公使館の三階からこの狭いヒミンビョルグの山小屋に戻ってきた俺には部屋が広すぎて、全ての家具が使う部分を持て余すほど無駄に大きいような気がした。


 長かったり、大きかったり、自分が小さく感じるようなことはそれにとどまることはなかった。


 自分自身が子どもに戻ったかのように、夜も長くなったのだ。

 白夜が訪れるほどヒミンビョルグの山小屋は極地にはないが、緯度が高いので遅くまで明るい。


 昔、中学の時だ。イギリスに行ったことがある。

 夏のあちらは夜の十時くらいまで明るかった記憶がある。八時くらいまで現地の子どもとサッカーをしていた。

 ヒミンビョルグは万年雪だが、一応の初夏を迎えていた。日に日に夜は――この場合は日が沈んで暗い時間は短くなっていく。

 まだうっすら明るい時間に寝始めるので、時間的には変わらない。

 だが、夜は長かった。


 ただ眠れないのだ。


 今日もまた長い夜がやってきていた。

 ベッドに横たわり暗闇の天井に手を伸ばしてみる。

 だが、天井には届かなかった。


 アニエスが横で寝息を立てている。最近、基地での仕事が忙しい彼女は帰宅すると同時に眠ってしまう。

 眠れないという点を除けば、それは俺も同じだった。



 戦争は激しくなっていた。


 移動魔法を使うことが中心的な業務だったが、高度な治癒魔法を使えることを見いだされ、傷痍軍人たちの治療を任されることが多くなった。


 俺は別に高度な治癒魔法を使えるわけではない。学生時代に解剖やらの授業を受けていたから少しばかり詳しく、それを元に治癒魔法をかけているだけだ。

 だが、それでも高度な治癒魔法と言われるのは、任される傷ついた軍人たちの負った傷の程度が、治癒魔法が使える程度では治せないほど生半可なものではないからだ。


 例えば、腕や足が短くなり丸くなった包帯の先端が赤黒や黄緑になっている者や、どう見ても顔の形ではない包帯で巻かれたものが顔の部位にある者、身体中に包帯が巻かれ見えている血だらけの唇は何かうわごとを常に言い続けている者、下半身がない者。


 取れた腕を拾って来て、血がなくなったみたいに青白い顔してくっつけてくれと訴えてくる奴もいた。

 泥だらけで自分のなのか誰かの血なのか分からないようなので汚れに汚れた腕をぶら下げて俺の眼を放さずに真っ直ぐ見てくるのだ。

 その兵士は青い顔してる割りに、腕が取れてる割りに、冷静な眼差しをしていた。

 俺はそれが本当に自分の腕か聞き直した。

 揺れる度に白い何かをぽつぽつと落とし、鰹節のような乾きを催す臭いもし始めていて、腕として機能させることはもう出来ない。自分に出来ないからそう尋ね返したわけではない。

 それでも、そうだ、とアルカイックスマイルで動かしにくい顎を縦に振るばかりだった。

 違うということに俺はその兵士が俺の前に腕を差し出してきた時点で分かっていた。その兵士が残った右腕で後生大事に抱えている腕の掌の親指は、右側についていたから。


 正直なことを言ってしまえば、見るに堪えない状態だ。

 俺は負傷者を見ると辛くなった。それは誰でも同じはずだ。

 だが、俺は無残な姿になってしまったが生きている者たちを見ても身体が硬直することなく治癒魔法が使えた。


 そのような人材は意外と多くないようなのだ。


 大学時代に受けた法医学のおかげだろう。

 ダイナマイトか何かの爆発物を使って心中し壁一面が赤黒くなった遺体の見当たらないアパートの一室や事故に巻き込まれ下半身だけが焼けて上半身には苦悶の表情が残ったままの遺体など凄まじいものには見慣れていた。


 だが、それらとは違って戦地から戻ってきた怪我を受けた兵士たちは皆生きているのだ。


 鼓動は痛みで速まったり、痛みから身体を逃がす為に捩ろうとしたり、それは確かに意思を持って生きている。


 生きている、ただその一点で恐怖が沸き起こる。苦痛、悲しみ、絶望がその身体にはまだ残っているからだ。

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