シロークは妻に懊悩する 第四話
よく晴れていて窓を開けると夏の風が吹き込んできた。
シロークの依頼を受けその護衛を開始する朝、のんびりと朝食を食べていた。前日に遅くまでウミツバメ亭で酒を飲んでいたことに、アニエスは朝が来てもぷりぷりと怒っていた。どうやらレアと飲んでいたのではないかと疑っているようだ。一人で飲みに行ったとは言ったが、そこで彼女が苦手な役員女神と遭遇したことは伏せておいた。
そのとき、クローゼットからカリカリ音がしてククーシュカが出てきた。彼女はドアを閉めると、手のひらを強くぐっと握ったり、開いたりして何かを確かめているようだった。彼女の珍しい姿を見てアニエスの話は途切れてしまい、俺がどうかしたのかと尋ねると、なんでもない、寝違えた、としか言わなかった。
そして、彼女はテーブルの上に用意された朝食を食べ始めたが、フォークを持つ手は少し震えていて持ちづらそうだった。あまり自分のことを聞かれるのが好きではないであろう彼女にそれをしつこく聞くことはしなかった。しかし、小さく切ったベーコンを口へと運ぼうとした瞬間、持ち上げていたフォークが掌から離れ、床に硬い音を立てたのだ。
しかし、彼女は静かに拾うと小さな声で、ごめんなさい、すこし手がつるみたい、と言ってフォークを取り換えて何事もなかったように再び食べ始めた。これまでにない様子のおかしさにアニエスも心配な様子で彼女を見つめていた。
しかし、それからは何もなくいつも通りになり、ほとぼりが冷めるとアニエスがまた昨日の夜のことを言いだしそうになったが、彼女の服装が夏仕様になっていることに気づき、その話でうまくそらすことができた。サテン生地がシルクに変わったとか、ストライプ柄のリボンになったとか、具体的なことは彼女が言いだすまでは気が付かなかったが。
昼前に集合場所に着くと、テントと焚火の跡があった。その横でシロークが倒木の上でタバコを吸っていた。挨拶をすると片手をあげて笑顔で返してきた。すすめられたタバコを断り、彼とそこで談笑しながら待っていると、すぐに全員が集合したので護衛任務の依頼進行の段取りを発表した。
護衛ということで、夜間の見張りを交代して行うことになった。ほぼ全員移動魔法が使えるので比較的容易にできる。ククーシュカはマジックアイテムを持っていないが、彼女の便利なコートは、出入り口固定ではあるが遠距離移動もできるようで、コートとクローゼットを行き来できる。
依頼者本人を移動魔法で護衛できるところに移したいのだが、彼は頑なにそれを拒否し続けたのだ。その気になる理由は、詮索になるのでわからない。それゆえ長距離移動になるので馬車を一台手配した。
目的地は南の町……とあまりはっきりしないのだが、これまた詮索はしないという条件があるので、最南端にある町のリティーロを目的地とした。そこに到達するまでおよそ三週間くらいだろう。長期依頼となり休みはないが、報酬も相場以上に貰っており、依頼人である彼が早いほうがいいということをメンバーに説明したら納得してくれた。
自らの足で行くことで、移動先の記録が溜まり移動魔法で行ける距離が広げられる。そして最南端と言えば、まず我々が越えるべき目標の川も橋も近い。護衛も冒険も、どちらもついでとは言えないが、都合がいい。
「バカ! クズ! 何やってんのマジで!?」
出発の準備が整い、待機している彼にそれを確認するために馬車の幌の中を覗いた。
その瞬間、大きな声が聞こえた。聞いたことのない女性の声だった。
「あっ、ちょ……、リナ、周りに人いるから……」
膝に肘を載せて猫背のシロークは焦っており、話しかけづらくなってしまった。どうやらキューディラで誰かと話しているようだ。幌の中にさした光に気付きこちら向いた。彼は目が合うと片手をあげてすまなそうにした。そして背を向けさらに縮こまり、音が漏れないようにした。聞こえてくる音はくぐもってはっきりとは聞こえなくなったが、強い口調で罵倒されている様子だ。
はい……はい……すいません……はい……と小さく頭を下げて、キューディラ越しで姿の見えない相手に対して繰り返し謝っている。あまり聞かないほうがいいだろう。彼の話が終わるまで幌から出て待つことにした。
それから五分ほどしただろうか。終わったらしく、幌から顔を出した。下がったままの眉とへの字に曲げられた口をして、顔には疲労の色が見えていて、眉間にしわが残ったままのやつれた顔でため息をした。
「待たせてすまない。もう出発かね?」
「だいぶ言われていましたね。上司ですか?」 あっヤベ
「き、聞かれてしまったか……。あれは私の妻だよ」
「だいぶ、怒られてましたね」
「最近は特にきつくなっている気がするんだ」
レアの言う良くない俺の癖が出てしまい思わず、仕事の内容と言う突っ込んだことを危うく聞いてしまうところだった。だが、運よく家庭の問題の話だった。とは言うものの、それはそれで踏み込むわけにはいかないので、大変ですね、と苦笑いをしてごまかした。
するとシロークは無表情で俺を見た。そして見定めるようにしげしげと見つめた後、
「イズミとか、言ったな。会って間もないが、君はなんだか話しやすい。どことなく妻に似た雰囲気があるな。ああ、キツさがってわけじゃない。とにかく出発しよう」
と言った。
全員が馬車に乗り、御者をオージーに任せて南に向け出発した。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘、お待ちしております。