幕間の対話 第六話
俺たちのセシリアは死んだ。
生き返ったセシリアは、もし、同じ記憶を持っていたとしても、俺は同じように愛せるとは思えない。今まさにこの女神が言った“虚無”が支配する。
本当に欲しい物は過去にある。時間を否定しようとも、あの頃を願う俺が俺である限り、それは永久に手に入ることはなく、永久に虚無を味わうだけだ。
そして、たった今この女神は「時間の否定は存在しない」とまで言った。生き返らせたセシリアはかつてのセシリアではなくて、記憶を持った別の存在だ。
それは生き返らせたのではない。新しい入れ物をセシリアだと思い込もうとしているだけだ。
目を閉じて思い出すヒミンビョルグの山小屋を駆け回っていた小さな女の子。あれこそがセシリアだ。あの子はもう死んだんだ。それが摂理だ。
しかし、困った。この女神は何かを押しつけるまで帰さないようなのだ。
だが“何か”について具体的に言っていない。この中か選べと選択肢を提示したわけでもない。
それならば。
「じゃ、ここからいつでもすぐに帰れる方法を教えてくれ」
「だーめ」と即答で却下された。半ば揚げ足取りのようなことを頼んだので、そうだろうとは思っていた。
「それ以外で何か一つお願いするまで帰さないわ。
私は別に時間の概念はないもの。人間的に言えば、いつまでも待つわ。
あなたもここに居る限り、老けもしないし死にもしない。底の湖に飛び込んで溺死もしないわよー」
ベンチの横に腰掛けると足を組み、膝に肘を突いた。口元を手で押さえて首をこちらに向けながら、にっこり笑っている。
「あんたは確か、愛の女神だったな?」
「そうよー。愛の女神、アフロディーテ。誰もが知るオリュンポス十二神の一柱」
「じゃあ、お願いがある」
そう言うと女神は背筋をピンと伸ばして満面の笑顔になった。そして、立ち上がると、
「あらっ!? なになに? どうしたのー? 素直ねー。良い子じゃなーい!
素直な子は調子に乗らなければ好きよー! 何かしらー? 何でも良いわよー。
何でもいいけれど、特に愛が絡むなら最強以上の物を与えられるわ。
どんな女の子からも真心から愛される力? かけがえのない不滅の愛情?
さぁ言ってご覧なさーい。あなたの願い、愛の女神であるアフロディーテが全身全霊でかなえてあげるわー」
と両手を広げて顎を高く上げた。
「そうだな。メチャクチャ愛に関係があるお願いだ。たぶん、これは他でもないあんたにしか頼めない。でも、あんただから間違いなく応えてくれると確信してる」
「もーう、もったいつけないで早くいいなさいよー! はっやっく、はっやっく!」
愛の女神様は嬉しそうにワキワキと腕を動かしている。
「セシリアは俺たちに愛されて幸せだったか? それを教えてくれ」
強く強くお願いすると、女神は目を細めた笑顔のまま腕の動きを止めて硬直した。
しばらくそうしていると「は? 何?」と耳に掌を当てて「もっかい、もう一回言ってちょうだーい。おねーさんよく聞こえなかったぞー。んんー?」と俺の顔の前に突き出してきた。
「セシリアは俺たちに愛されて幸せだったか?」
再び強く強く強くお願いすると、うんうんと頷いた。だが、再びピタリと動きが止まると、
「えっ、そんなこと!? なんで? なんで? イミワカンナイ!」
と身体を仰け反らせて目玉が飛び出るのではないかと思うほどに目を見開いた。
「そんなことだ? ふざけんな。
俺にとっては重要なことだ。俺たちはあの子を自分たちの娘としてキチンと愛せていたのか。
死に際にセシリアはありがとう、幸せだとは言っていた。でも、それが本当か。疑いたくない。
あんたが愛の女神ならそれが本当かぐらい分かるだろ?」
「えぇ……」と女神は顔に掌を当てて擦り、立ちくらみでも起こしたかのようにふらついた。再び顔を上げると、目にくまが出来ていた。表情豊かな神様だ。こういうところは愛の女神らしい。




