シロークは妻に懊悩する 第三話
学生街の夏は人が多い。
制服だろうか、似たような服を着た一団が本や道具を抱えて足早に歩いていたり、それとは反対に自由な服装ではしゃぎながら歩いたりしているものもいる。これから夏休みのような長期休暇が始まり、どうやって持て余した時間を過ごすか、街全体がそんなことを考えているのではないかと思うほど騒がしい。
表はそうだが、きっと建物の中もざわついているのだろう。フロイデンベルクアカデミアの変態たちも意味不明な質問を持ち込んでくる学生がいない分、いつもより自由に研究ができると興奮気味なはずだ。それはまるで夏の日差しよりもまぶしいものを見ているような気分だ。
討伐依頼が終わったのは、まだ昼のそんな騒がしさの残る時間帯だ。なわばりに踏み込んでまとめて魔物を連れて来てくれたシロークのおかげでだいぶ早かった。その後の彼との契約もすぐ終わった。
ストスリアの職業会館で報酬を受け取った後、ノルデンヴィズよりもきれいで大きなそこのラウンジで話が盛り上がりなぜか誰もすぐに帰ろうとしなかった。
そして、せっかくこの街に全員集合となったので、つわりも治まりつつあるアンネリも交えて夕食会を設けることとなったのだ。おそらく夏と街の熱気に打たれて何かしたいと考えていたのは皆同じようだ。
オージーとアンネリの家にドヤドヤ押し掛けるのは申し訳ないので、かつて俺がマテーウス治療院に収容されていたとき、カミュと足しげく通っていたカフェに行くことになった。七人と大人数だが、まだ時間帯も早いので見覚えのある店員も迷惑そうな顔はしなかった。
久しぶりに会うとアンネリのお腹はだいぶ大きくなっていて、それらしくシンプルな柄のムームーみたいな服を着ていた。見慣れた髪もダンゴヘアーにまとめられて、すでに母親の風格が見え始めていた。レアとカミュは近づき彼女のお腹をきゃっきゃ言いながらさすりまくっていた。恥ずかしそうにくすぐったいからやめろと言いつつも、笑顔をこらえられない彼女は嬉しそうだった。
それをやさしく見つめるオージーも、普段とは違うようなどこか父親のような顔に見えた。妊婦と言うのはいつも不思議で、たった二週間ほども会わないとあっという間に大きくなる。彼女の体つきはかなり細めなので余計に目立つ。いずれこのまま大きくなると、生まれる前に親より大きくなるのではないかと思ってしまうほどだ。双子ということなので、その状態でも十分大きいがこれからますます大きくなるのだろう。
店で食事をしながら、レアは近所のお節介おばさんのようにアンネリに太りなさい、太りなさいと言い続けていた。確かにやせ形で分娩に不安がある体型だが、単純に食べて太ればいいわけでもない。(この世界の基準はわからないが)妊娠性糖尿病なんてものもある。
いまだにコウノトリとキャベツ畑をにわかに信じているカミュは困った顔をしつつもテーブルの上に身を乗り出し、興味津々なのか熱心に話を聞いていた。どこの畑ですか、本気で言い出しそうだ。まだ二人と知り合って間もないアニエスは話に乗り切れず、うんうんとうなずいているだけだった。彼女に関しては俺が無理に連れまわしている感じも否めないので、彼女の隣に座って話を時々振った。
アンネリはオージーの愚痴ばかり言っていた。例えば、靴下脱ぎっぱなしとか、洗い物しないとか。しかし、それもどこか嬉しそうで、彼をバカにしたり、否定したりはしなかった。オージーは申し訳なさそうにごめん、気を付けるよ、と謝りながら、アンネリと笑いあっていた。まだ新婚とはいえ夫婦とはこんなものなのだろうか。
自分にはできないと諦めた先にある人と人との形は、少なくとも俺の目には温かいものに映った。二人からすれば、結婚生活の現実を知らない呑気な独り者が幸せでしかるべきという先入観で作り上げた幻想としか思わないだろう。
普段は見かけないオージーとアンネリの家での、幸せで楽しそうな顔を垣間見た。しかし、楽しいのは見えているところだけで、それ以外の時間も山ほどある。そうとわかっていても、ひたすら気にしていた譲歩がどうとか、そういったものが全くないのにお互いがお互いを満たし満たされているような、そんな風に見えた。
自分が冷静なつもりはない。しかし、どれだけ夏に煽られても、遠くから見ているようなそんな気持ちになった。
夕食会も早めに解散になった。店を出るとオージーとアンネリは自宅へ向かい、俺とアニエスとククーシュカは住んでいるところも同じなので一緒に戻ることにした。しかし、移動魔法を使うために街の外へ向かおうとしたら、レアが俺を呼び止めたのだ。
「イズミさん、よろしいですか?」
彼女の昼のシロークへの反応を見ていたので、また呼び出しがあるだろうとは思っていた。しかめた顔をしたアニエスとぼーっと空を見ているククーシュカを先に帰らせて、俺はレアのもとへ向かい、オージーとアンネリとも違う方向へ進んだ彼女に追いつくと早速話が始まった。
「シロークさんの依頼についてです」
やはりまた何かあるようだ。ああ、と声が漏れておもわずわかったような顔をしてしまったが、彼女は構わずに続けた。
「依頼は『個人的に受けた』ということで商会には報告はしますが、おおざっぱにしかしません。それから、くれぐれも彼については一切の詮索を行わないでください。特に、思想、国家などについては避けてくださいね。どうやらどこかの自治領の高官のようです。それもかなり上に近くの。あなたはそれに全く気づいていないつもりで行動してください」
思わず苦笑いがこぼれてしまった。
「やっぱり、またなんかありげなんだね」
「やっぱり、と言いますと?」
レアは首をかしげて俺を覗き込んだ。
「シロークと話をしてるときの表情が硬いかなと思って。それについてもあまり聞かないほうがいいよね。でも、ほかのみんなもそうじゃない?」
それを聞くと彼女は目を見開いた。
「イズミさんは人のことをよく見ていますね。おっしゃる通りです。ほかのメンバーについてですが、様々な事情から自然とそういう会話を避ける傾向にあります。ですが、イズミさんは人の機微に敏感な割にそこへ踏み込む可能性が少し高いので」
「ああ、ごめん。気を遣わせちゃってるわけだ。世間知らずで申し訳ない」
「いえ、構いませんよ。イズミさんはそれが強みでもありますから。でも今回は特に気を付けてください。破格の報酬も口止め料込でしょう。私たちのするべきことは彼を無事に南の果てへ送り届けるだけです」
わかった、と言うとレアは大きくうなずき、小さく頭を下げて去っていった。どこまでシロークについて把握しているのだろうか。街の人ごみの中に消えていく彼女を見送りながら思った。
先に帰した二人に追いつこうと外まで走ったが、もう戻ってしまったようだ。
時間はまだ早い。久しぶりの独りぼっちだ。
俺はノルデンヴィズへ戻ったが、家には戻らずにウミツバメ亭へ向かった。
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