見守る者 第五話
「遙か昔、どこか遠い国の物語で、たくさんの動物たちを乗せたスプートニクという名前の丸い方舟が星の間を飛んでいたそうだ。
方舟に乗るものたちは望んで乗せられたわけではなかったので、元いた場所に戻りたかった。だが、元いた場所の者たちは既に彼らを見捨てていた。
方舟はいつしか見知らぬ地表に降り立ち、魔物だらけだったこの世界に動物をもたらした。その中に二人の人間がいたそうだ」
姿勢を起こしてストレルカの方へ向いた。彼女はまだブローチを掲げたままだ。
「二人は協力し合い、方舟に乗っていた動物たちを従え陰気な沼地ばかりだった地上を豊かに整えて行ったそうだ」
「まさかたぁ思うが、その名前がベルカとストレルカとかいうオチか?」
ストレルカは何も言わずにオレを見ると、両眉を上げた。
「そいつぁマジか……。オレは聞いてねぇな、その話」
「その二人が連れていたつがいの犬だって話もあるらしい。
早死にしたアタシの育ての親どもが、アンタを拾った後にアタシらをそう呼び始めた。
おそらくブルゼイ族再興への願いだろうな」
明け方前の廊下にはオレたち二人しかいない。申し訳程度のオイルヒーターの排気口から出た熱が空気を揺らしている。
半分ほど消された照明の中でストレルカはチョウトンボのブローチを天にかざした。回すように動かされたそれは一度まぶしく光を指してきた。そのとき、ブローチの宝石を通り抜けた黄色い光が見えた。
ストレルカにはどう見えているのだろうか。黄色い彼女の目に、黄色い光の筋が差し込む。そして、ブローチの動きに合わせて動いた光は青白い髪を白く光らせた。
「そりゃ、やっぱりそいつらお前の生みの親でもあったんじゃねぇのか?
ストレルカの見た目はどう見ても正統ブルゼイ。オレの申し訳程度の瞳とは比べものにならないほどセシリアに近い。
それに、拾い子のオレがかすかに覚えてる親どもはシトリンの目にやや青の強いグレーシャーブルーの髪。
お前と何一つ変わらなかった。家族姓は失ってもコズロフの末裔だったんだろ。間違いなく」
彼女が親指と人差し指を開くと、ブローチはたちまち落ち始めた。
「かもな。だとしたら」
宙でくるくると回り、幾筋もの光を放って落ちていく。何故か、光の筋の全てが目で追えるのでは無いかと思うほどゆっくりと、そして穏やかに見えた。
「アタシは幸せモンだよ」
ストレルカはすかさずそれを左手で受け止めた。そして、軍服に付けようと顎を引いて自らの首筋辺りを見るようになると、ブローチのピンを外した。
軍服を引っ張ったり、うまく付けられず唸ったりして、やや手こずりながらも首筋の階級章の横にそれを元通りに付け直した。
最初付けていたときよりも少し傾いている。
付け終わった彼女は腕を組み、壁により掛かり直すと目を閉じた。
オレもストレルカも黙り込むと、また静かになった。
だが、静寂にはすぐに慣れてしまう。そして、聞こえ始めるのは悲しみの声。
音はいくつもあるはずだ。オイルヒーターの稼働音、僅かに吹く風が窓ガラスを揺らす音、家鳴り、雨音。
黙り込んだほうがかえって騒々しい。だが、それでもやはり部屋の中の声が気になってしまう。




