見守る者 第三話
姿勢を戻し、掌を見つめた。以前は、剣を扱うことで出来ていたマメや皺の間につまりに詰まった泥と埃で茶色い線だらけでかなり汚かった。
今では皺の一つまではっきり追えるほどにすっかり落とされている。おそらくこれからは泥よりも、火薬の燃えかすとグリスでまみれていくのだろう。
伝統は過去に。生産効率の前に無力。それが見直されるのは遙か未来。争いに飽きた頃だ。
「国家再興は果たしはしたものの、その国をブルゼイ族自身の手で回していく日はほど遠いな」
「昔の様に王国だと名乗るのは難しいもんだろ。周りの国を見てみろよ。
連盟政府は二百年前に絶対統治者を人間の社会から消した。当時は手を取り合い進むのだ、と志も高かったのだろう。
だが、民衆の権利は明言されず、自治領も世襲を続けた。それに伴って貴族というシステムは色濃く残り続けた。
それがこの数ヶ月前、ついに決壊してユニオンを皮切りに友学連、北公、そしてルスラニアの独立を許した。
分離独立国のほとんどは、貴族制度は廃止され民衆の一部となった。
経済治安などの維持のために現行の支配は続くがその代限りになり、後は選挙などにより選ばれる、つまり民衆の国であると明言されている。
海の向こうの共和国には最近まで力を持つ真の絶対統治者がいたが、そいつも死に血も途絶えた。
その後は選挙権を持つ国民による投票で司法、金融、政治、軍部の長が決められるようになった。
王様や皇帝が国を治める時代じゃなくなってる。民衆の時代が来てるんだろうな」
「我らがプリャマーフカはどうなるんだろうな」
「どうなるも」と部屋の方へ顎を向けた。
「まぁそうだが、仮に、もし仮にだ。この結末を回避出来たとしたらだ」と改めると「さぁなぁ」と肩をすくめた。
しかし、「プリャマーフカはガキンチョでよかったんじゃないか?」とすぐに話し始めた。
「お人形の女王さまなら民主的な国家になっても嫌われない。
国民に選ばれた首相なり大臣なりの言いなりになって、国璽押すだけのお仕事だけしてればいい。
まー、贅沢三昧したり変な思想に走ったりすれば嫌われるだろーが。
いきなり死ねからの、脂で切れ味の悪くなった断頭台でゴロリンチョにゃならないだろうな」
病気さえなければ、ということか。だからストレルカは答えるのを戸惑ったのだ。
「亡骸は人知れず保存されることになってる。そして、今後セシリアの姿は、代理も亡骸も表に出されることは決して無い。
ホルマリン漬けの国王という立場を形骸化し、そして彼女を神格化してしまえば、人前には顔を出さない理由付けにできる。後は神秘性が民衆の間で独り歩きをしてくれる。
だが、ブルゼイ族に教育が進み、ブルゼリア王家のあり方が広く認知され、そして人としての寿命を超えるほどの長い時間が経過すれば、年齢的には死んでいるという事実に誰もがやがては気がつく。
しかし、施される教育の中で死してなお象徴的な存在であると強く教えれば問題ない。時間をかけて生きている存在から中間の存在にしていき、やがて生死すら不明の神のような信仰対象にしてしまえば良い。
いつかその死が暴かれるまで、彼女は本当に生き続け、死が暴かれた後は国の心の中で生き続ける。国がある限り象徴として永遠に生き続けるだろうな」
ああ? 何だそりゃ。ストレルカは役人になってから難しい言葉を使うようになったモンだ。
だが、変わったのはストレルカだけではなく、自分自身もそうなのだ。数ヶ月前の自分なら軍服など着もしなかったはずだ。
ほつれた糸を再び引っ張ってみると、あっさりと引き抜くことが出来た。指に絡みついてきた糸を離し、床に放った。
そのまま地面まで落ちていくと思ったが、ふわりと流れるようにズボンに付いて逆立ち、部屋の空気の流れに踊っている。




