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スプートニクの帰路 第百十六話

 曇りの日でも入れば少し汗ばむほど気温が高く維持されたガラスで囲まれた温室の中で、アサガオはすくすく伸び続けていた。

 雲間から日が差すと、大きなハートの形をした葉っぱたちは深い緑色を光らせた。


 俺はセシリアが撒けなくなった水を彼女の代わりにアサガオに与え続けていた。

 それにはある種の祈りのようなものもあったのだ。

 一度、自暴自棄になったセシリアが倒してしまったが、アサガオは彼女が献身的に水を与え続けた結果、息を吹き返してさらに強く成長していったのだ。

 俺が一日たりと水やりを忘れさえしなければ、もしかしたら――。


 祈りほど意味の無い行動はない。物事を望む方向に向けるなら、祈るだけではなく動かなければいけない。

 だが、俺には出来ることがない。祈ること以外を諦めているのかもしれない。


 高い位置からアサガオに水をかけると、ハートの中心に小さな水玉がいくつも出来た。水玉は太陽光に白く透明に光った後、葉っぱから落ちて蔓と網を大きく揺らした。


 揺れた上の方の葉っぱが、目を細めて見上げていたガラス越しの空の中で一度日差しを遮った。



 温室は研究目的も見いだされ、拡張などの改築が加えられていた。窓は断熱性の高いガラスとガラスルーフにされ、床材にはコンクリートが敷かれている。

 しかし、その広いスペースには何もおかれることはなく、アサガオの鉢が一番日差しのあたるガラスの壁際にぽつねんと置かれている。

 プランターから流れ出た水がコンクリートに川を作り、気がつけばそれは足下まで迫ってきていた。


 温室なのだ。生い茂る緑の合間に赤や黄色、オレンジに紫があって、もっと色鮮やかで賑やかでも良かったはずだ。


 ルーア共和国の南側、それこそダークエルフの昔話に出てきたほど南の街に行って、南国の植物を買ってきてもよかったかもしれない。

 温室がこれほどまでに暖かければ、おそらく、セシリアは見たことの無いはずのプルメリアやブーゲンビリアといった色とりどりの様々な花も育てられただろう。


 今置かれているのは、アサガオの植わったヒバで出来たプランターだけだ。

 そこに建てられていた支柱は取り除かれ、代わりに天井間際から網がつるされている。アサガオはそこに巻き付き、ひょろりと一本だけ長く伸びていた。


 アサガオに限らず、草花は一番伸びているところを切り落とし、脇目を増やしていく。それをピンチや摘芯という。

 なぜ伸びている芽を切ってしまうのかというと、それをした方が花を多くすることが出来るのだ。

 オーキシンがどうとか頂芽優勢がどうとか、その辺りの科学的なことはよくわからないが、そうらしい。

 だが、そうすることで開花が少し遅れてしまう。


 俺はピンチをしなかった。遅くなるのは、困るのだ。


 見上げれば一本蔓の先は長く、そして勢いよく網を伝い駆け上るように天を目指して伸びている。

 よく磨かれて傷一つ無く、太陽の光を取り込んでくる温室のガラスの天井は高いが、限りがあった。

 ガラス越しには空が見えた。雲は多く上空の強い風に流されていて、垣間見えるその隙間は金色に光っていた。

 アサガオはそこに向かって伸びていき、やがて小さな蕾を一つだけ付けていたのだ。


 その蕾の萼付け根は白く、先に向かうほど赤紫色になる蕾だった。

 あと数日もしないうちに開花するだろう。早雪は終わりを迎え、日差しが続けば必ず。


 それからセシリアの意識は戻ることない日々の中でも蕾は膨らみ続けた。


 しかし、いよいよ膨らみが満ちていた日の夜は季節外れに肌寒くなり、冷たい雨が振り始めたのだ。

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