スプートニクの帰路 第百十一話
ムーバリと会って三日後、セシリアはついに意識が朦朧とし始めた。
まるで必要な別れを全て済ませ、気が済んだかのように弱り始めているようだった。
弱り始めるとその足は速い。すぐに自力での食事は不可能になった。食べられなくなれば、さらに速くなる。追いつくように意識も無くなった。
部屋には治癒魔法を扱う僧侶や非魔術系の僧侶、生態魔術学者が数時間おきに交代で現れるようになり、必要最小限にも満たない栄養と水分を与えていた。
やり方を聞いた俺もそれにときどき参加して手伝った。
無理矢理口をこじ開け、誤嚥しないようにチューブを入れて水分と味などしないゲル状の食事を流し込む。果たして胃に流れ込んでも身体に吸収されることはあるのだろうか。
手伝いの最中、僅かに起こる反射を見ているとそんなことばかりを考える。
薄れた意識の中であっても熱にはうかされている様子だった。身体は以前にも増して痩せ細り、子どものような肉付きの良かったはずの腕は枯れた小枝のようになってしまった。
唇はすっかり紫色だ。チアノーゼを起こしているのだろう。足も浮腫んでいる。
浮腫んだ足をマッサージしてやっても何も反応しない。痩せ細ってはいても熱感はあるが、乾いた皮膚ごしに伝わってくる熱からは命を感じない。
それでも少しだけむくみが解消されるので、俺はしてあげ続けた。
反応は全くないが、失った意識の中で苦しみ痛みだけは感じているのか、時々表情を歪めることがあった。
そのたびに非魔術系の僧侶が、使用禁止になり製造が中止になる前の残りの鎮痛薬を投与していった。
いつかの紅蓮蝶に混ぜて売られていたものが医療用に調合された正式なものだ。
元々少ないその在庫は日々減り、やがて底をつくと、今度は芥子の実から調合したものになった。(オピオイド系の鎮痛薬だろう。ついにここまで来たかと思ってしまった)。
喜びも楽しみも無い暗闇で、感じることが出来るのは痛みと苦しみだけだ。それはセシリアには辛いはずだ。だが、それだけがセシリアに生きている実感を与えている。
しかし、その生きる実感を得るたびに鎮痛薬が投与され、痛みも苦しみさえも無いただの暗闇に戻っていく。
その中で孤独に衰えていくセシリアを見ていられなかった。
どうすることもできない。どうすることも出来ない、と言うわけではない。だが、それをしたところで根本的な解決にはならない。また繰り返すだけになってしまう。
俺は意識の消えかけているセシリアの病室の椅子で気がつけば眠りに落ち、はたと気がつけば彼女がまだ息をしているか確かめることを繰り返した。
寝ている間にいなくなってしまうのでは無いかと思うと眠ることなど出来ず、疲労は溜まった。しかし、穏やかに眠ることができないのは彼女も同じだ。
やがて浅い眠りと焦燥にまみれた覚醒を繰り返すうちに朝が来て、あのアサガオの温室へ向かい世話をし再び病室へと戻る。病室の椅子は冷たく硬く、座っているのも辛かった。
しかし、そこを離れることを俺は出来なかった。
そんな、極限の日々が続いた。




