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スプートニクの帰路 第百十話

 感情の起伏の無い言葉と表情を見ていると頭に血が上り、目の前が真っ赤になったような気がした。そのときにはムーバリに既に怒鳴っていた。

 まるで死ぬのはもう当たり前で、そしてその死さえも北公やルスラニアの国が出来ていく流れの一つでしかないように言うのが耐えられなかったのだ。

 息を荒げて詰め寄ったが、ムーバリは表情を変えることは無かった。


「それのいったい何が悪だというのですか?

 スヴェンニーの、もともと追い出した民族のスパイがブルゼイ族のお姫様と仲が良くなった。そのスパイもスヴェンニーとのハーフエルフという、人間世界では最底辺の存在。

 そんな私がやるからこそに、セシリアの逸話が美化されるんじゃないですか。

 おかげでブルゼイ族とスヴェンニーの黒曜石よりも硬くなった歴史上の確執を壊すことができた。さらに、宝の山である白い山(ビラ・ホラ)も進んで北公、共同体に提供した。

 政治家の死が政治に利用されるのは至極当然で、死してなお政治を動かせるというのは政治家冥利に尽きます。

 それと同じように、女王はありとあらゆる事柄を国家のために利用されて然るべきなのです」


「なんだよ、それ!」


 俺はムーバリに掴みかかろうとしてしまった。どんくさい俺が掴みかかろうとしたところで捕まえられるわけもなく、かわされてしまうだろうと思った。

 しかし、何故かムーバリは除けなかったのだ。俺は勢いを止められずムーバリの襟首を掴んだ。

 そして、掴まれてもなおムーバリは微動だにせず、掴まれた襟と俺を乾いた眼差しでただ見つめているだけだった。


「ふざけんなよ! ただのパフォーマンスなのかよ! 気持ちを考えろよ! 考えてくれよ……」


 顔を下に向けてしまうと、手の力も抜けてしまった。


 その手をムーバリがゆっくりと包み込んだ。ゴツゴツした硬い肌触りだったが、妙にじんわりと温かかった。掴んでいた手を優しくほどくと、俺の手を押し返してきた。

 そうされると肩の力が抜けてしまい、両手がだらりと落ちた。


「あなたは何も分かっていない。あなた自身も不安定になっているのは理解します」


 ムーバリは温かい掌を肩にのせると、話を続けた。


「私が今日セシリアに会ったのは何故だと思いますか?

 繰り返しますが、私はたった一つの本名を知らず多くの偽名だけで生きてきたスパイ。それでいて共同体軍では准将。すぐにでもしなければいけない仕事は山積みなのです。

 私が会わないと最初に考えたのは、政治的なものではなく、ひょっとしたら逃げていただけなのかもしれません。

 私はこういう生き方をしてきました。それは自分自身でもわからないのです。分からなかったのです。

 招いてくれたお陰でそれに気づき、そして心の準備は出来ました。

 他を差し置いてまで、この僅か数十分のために元女王としてではなく、友人の一人としてセシリアに会いに来た意味は大いにありました。

 私がここに来るというのは公式な予定として組まれています。女王が私のような存在に挨拶をしたという事実は残ります。

 あなたが望むと望まざるという意思だけにかかわらず、そして、私の意思とも関係なくです。

 ですが、冷たい物言いしかしなかったと受け取られては私も……、そうですね、悲しいというのでしょうか。

 今日はこの辺で失礼します」


 そういって北公の軍帽を被ると小さく敬礼をして背中を向けた。そして、それ以上は何も言うことはなく、長い大使館の廊下を進んでいった。


 三階の廊下は短く、すぐに角を曲がると見えなくなる。

 階段を降りる音だけが響いていた。革の分厚いブーツが床を蹴る音は長く伸びるようになり、やがて消えて行った。

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