スプートニクの帰路 第百五話
病気の子どもを連れて遠出するのはあまりすすめられたことではない。
それでも頬がこけてやつれた印象はあるがまだ動けるほどには元気なセシリアをつれて、どうしても行きたいところがあった。
共和国のギンスブルグの屋敷だ。そこでしかできないことをしてもらうため、それはユリナに頼んで家族写真を撮って貰うことだ。
セシリアを忘れないために、彼女がこの世で歩んでいたことを確かに残すためにどうしても写真を撮りたかったのだ。彼女のためではなく、間違いなく自分のためだということも分かっていた。
まだ技術が未熟な写真は、機材だけでなく撮影すること自体も高価であり準備にも時間がかかる。
あまり期待せずにユリナに連絡を入れてみたところ、すぐにオッケーを出してくれた。すぐに承諾をする辺りに政治的な臭いもする。
そういうのがあると分かっていても、出来る限りセシリアはそういう事柄からは遠ざけたかったし、記憶に残せるのならそれを優先させた。
無理を承知で忙しいヒューリライネン一家にも声をかけてみると、彼らも快く返事をしてくれた。少し遅れるが家族総出で来てくれるらしい。
当然だが、ベルカとストレルカも同行させた。何度も力で抑えつけられてきてユリナを極端に恐れていたので嫌がるかと思ったが、二人とも文句は言わなかった。
約束の日にはセシリアは熱を出さなかった。
お気に入りの人形を抱きかかえて三人でギンスブルグ家に向かった。何事も無くポータルを抜けるとユリナが出迎えてくれた。しかし、同時に怪訝な顔をした。
「おい、イズミ。そこのおばさん誰だ? お前と一緒に入ってきたんだが」
ポータルに紛れ込むようなヤツは誰だと思い、後ろを振り返ると懐かしい顔の女性がそこにはいたのだ。呼んでもいないのにどこから現れたのだろうか。
「イズミの姉ですー。よろしくお願いしますわ、ほほほ」
俺はいつの間に現れたその女性――あの女神だ。もはや世界とのギャップが激しく理解に苦しむような存在――に駆け寄り腕を掴んで脇に逸れた。
元上司との久しぶりの再会への喜びもあったが、あまりにも予期せぬ登場に焦ってしまい、まずは脇道に逸れて事情を伺うことばかりになってしまった。
二の腕を掴まれた女神は「久しぶりね。十万年ぶりくらい? 元気だった?」と笑いながら尋ねてきた。
「いや、一年くらいですね。もう現世に干渉するのは止めたんじゃないんですか?」
集団から少し離れたところで立ち止まりそう言うと、彼女は腰に手を当てて見下ろしてきた。
「いいでしょ、別に。もう無関係なんだからむしろいいじゃない。
記念写真撮るんでしょ? あたしも写っていいわね。
元とは言え部下に子どもが出来たんなら、上司がお祝いするのは普通よ。一姫二太郎、ガハハ」
「いや、俺は良いんですがそっちのコンプライアンス的にマズいんじゃないですか? 自分の立場分かってます? もう、なんだか久しぶりすぎて存在が不自然にすら感じます」
集団の方へ視線を送ると、ユリナは眉間に皺を寄せ顎を突き出してしゃくらせ女神を舐めるように見て怪しんでおり、アニエスは明らかに不機嫌になっている。セシリアは何も分からずにぼんやり口を開けている。
「そりゃそうよ。大丈夫。見切れる程度に何かいるみたいな感じでしれっと写るだけだから」
「それじゃあ完全に心霊写真じゃないですか。記念写真なんだから変な曰くつけないでください」
「女神に向かって心霊写真とは失礼ね。どっかの占い師芸人なら『これは祝福されてますよ!』とか言ってくれるわよ」
「そんなモンですかね。でも、あ、いえ、ははは」
それ以上に言いたいことはたくさんあった。だが、俺は何も言わないことにした。
セシリアがこの世界で幸せに生きて、そして一人でも多くの人に囲まれていたことを残しておきたかったからだ。
女神は何も言わない俺に仕方なさそうに笑いかけると、小さい声でウンウンと言いながら小刻みに頷いた。
ユリナには姉がいることを以前話していた。(もちろん今現れた自称姉ではなく本当の姉)。怪しまれこそしたが姉ならまあいいかと承諾してくれた。




