表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1213/1860

スプートニクの帰路 第百四話

 それから後ろから抱きかかえるようにしてセシリアの手を握り、一緒に手を洗っている最中に腰に付けていた杖が地面に当たった。

 回復魔法なら全くもって問題の無い元の完全な状態に戻せる。しかし、不思議で常識から外れているだけでなく命の在り方さえも否定するそれを、もう二度と使わないと俺は強く誓っていた。

 ならば、治癒魔法は生物のホメオスタシスの後押しだ。これまで人間以外にかけたのはビラ・ホラの大きなトンボであり、有効だった。植物も代謝を行う生命であり有効なのは分かる。


 しかし、俺は弱っているアサガオの苗に魔法は一切かけないことにしたのだ。

 奇跡を望むなら魔法頼みではいけない。ふと、何故かそう思ったからだ。

 望む奇跡がどんなものかを考えたくない。分からないふりをする為に、何故か、と誤魔化した。


 杖に伸びかけていた手を戻して、両目をゴシゴシ擦っていたセシリアを抱き上げて背中をさすってあげた。

 落ち着きを取り戻したようだが、アサガオから視線を避けているのか、首に腕を回して顔を肩に埋め時折鼻をすすっていた。

 しおれているアサガオの姿を見てしまうとまたこみ上げてしまうかもしれないと思い、早めに山小屋に戻った。

 朝食は食堂から山小屋に持ってきて二人で食べた。

 だが、食後に彼女は再びアサガオの鉢を倒してしまったことを思い出して泣き出してしまった。

 ロッキングチェアに腰掛けた俺の膝の上でひとしきり泣いた後、腕の中で泣き疲れて眠った。

 そして、その日はそれを繰り返して終わった。


 明くる朝、セシリアは昨日の泣き疲れが残っているはずなのに熱を出すことはなかった。目は腫れていたが、顔色も普通であり無理をしている様子も無かった。

 昨日は一日中泣いていたために疲れきり、夜に熱が出なかったのでかえって熟睡できたのかもしれない。

 起きてもしばらく俯いた表情だったので心配になり代わりに一人で行ってこようかとも思ったが、セシリアは自分で世話をしたがるので彼女の意思を尊重して温室に行けるかどうか尋ねた。

 すると左右の足先を迷うように見つめた後、ゆっくりと頷いたので連れて行くことにした。


 とぼとぼと温室に入り日陰でしおれているアサガオを見るとまた瞳を震わせたが、目を擦り涙を堪えていた。

 そして、目を真っ赤にしながら、自分の身体の半分もありそうで水のたっぷり入った重いブリキのじょうろを必死で持ち上げて、しなびたアサガオの苗に少しずつ水を上げていた。

 そのセシリアの小さな背中を見つめながら、俺はホッとしていた。


 次の日も、その次の日も、セシリアは熱を出さず、アサガオに水をあげ続けた。


 やがて、アサガオは重たそうな本葉と身体を持ち上げ、まだ幼い茎でしっかりと身体を支え始めたのだ。成長を思い出したようにすくすくと伸び、木製の網棚にしっかりと絡みついていった。


 セシリアはそれを見てまた泣きそうになっていた。そのときは前回のような後悔の涙ではなく、自らのしたことでアサガオを枯らしてしまわずに済んだことに安心したような顔をしていた。



 アサガオはどこまでも伸びていく。

 朝になれば温室は日光を浴び、希望が満ちるように光を湛える。


 しかし、それに逆らうようにセシリアは以前に増して泣きじゃくる回数が増えた。


 眠る前に突然彼女は泣き出したことがあった。どうしたのかと抱っこすると、人形を持って泣いていた。

 ほぼ肌身離さず握りしめていたようで、人形の腕が取れかけてしまっていたのだ。

 どうやらアサガオの種が出てきた僅かな隙間がほつれて、そこから裂けてしまったのだろう。

 アニエスは手際よくすぐに縫い直してくれた。しかし、セシリアは人形を直しても泣き続けていた。


 取り付けられたブローチが気に入らないとか、前と違うとか、そういった人形に対する負の感情では無く、とにかくただ不安定でそれが何か分からずに怖くて泣き続けているだけのようだった。


 思い起こせば、不安定になっていたセシリアを見て俺だけではなくアニエスも気がついていたのかもしれない。


 おおよそ、わかる。この子は()()()()なのだろう。


 あれ食べたい、これがしたい、それくらいなら叶えられたはず。どんな願いでも叶えてあげたい。でも、俺たちに彼女の願いを叶えることは無理だった。


 もっと生きて大人になりたいという、当たり前にできることができなくて泣いていたのだろう。

 そして、それが自分自身だけでなく、誰であっても避けられないということに本人自身もぼんやりと気づいていて、自暴自棄になってしまっているのだ。


 その夜は、彼女の思いに気がついていたが何も出来ず、泣き疲れて眠るまでただ抱きしめて頭を撫で続けることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ