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スプートニクの帰路 第百三話

 その日、朝起きたときのセシリアは寝不足で辛そうだった。赤い目で瞬きを何度も繰り返し、声もかすれていた。

 それもそのはず、前日は熱が深夜まで収まらず、落ち着いてからも眠りは浅かったのだろう。それでもアサガオに水をあげることだけは忘れまいと無理をして起きたようだった。


 目覚めてからは発熱をすることもなく、地に足をしっかりつけて歩いていておんぶも必要ないほどだった。

 アニエスは早朝に出てしまい、朝食は無かったのでノルデンヴィズの基地食堂を利用することにした。食堂は温室からも近いので、先にアサガオに水をあげてから食堂に向かうことにした。


 ポータルで基地中庭に出ると、夜霧でも出ていたのかしっとりと冷たい空気が漂い、食堂から朝食の準備をしているときに立つ、切りたてでまだ瑞々しくて生っぽい野菜の匂いが漂ってきた。

 アオガラがまだ静かな基地に並ぶコニファーの合間で爽やかに鳴くと、朝露が尖った葉からこぼれ落ちた。

 並木を抜けてセシリアと共に温室に向かうと、アサガオは蔓を伸ばし、鉢からこんもりとあふれ出して行き場を求めるように渦を巻いていた。


「だいぶ育ったね。そろそろ支柱立てるか。もう二、三日で巻き付けるようにした方が良いね。つる性の植物って巻き付けた方が育ちが速いんだよね。経験則だけど」


 横に並んで見ていたセシリアの頭を撫でたが反応が無かった。

 いつもならここで自分の身体の半分もあるようなブリキのじょうろに水を入れに行くのだが、そのまま立ち尽くしていた。どうやらまだ元気が無いようだ。

 屈んで様子を窺うとセシリアは下を向いてしまった。

「どうしたの?」と尋ねると今度は震えだしたのだ。そして、小さな肩が震えるのを堪えるように力み、固まるように縮みだした。

 すると突然、鉢に向かって走り出し、思い切り鉢を押し倒してしまったのだ。勢いが余ってしまったのか、そのまま尻餅をついてしまった。


 俺はセシリアに駆け寄り立てようと肘に触れると、「この子は、毎日、どうしてこんなに大きくなって! ズルい……。私だって、私だって!」と言うとヒクヒクと泣き出してしまった。


「どうしたんだい? そんなことしたら枯れちゃうよ」


「私だって……。もっと……」


「もっと、なんだい?」


 頭を撫でて顔を覗きながら優しく尋ねたが答えることはなく、再び大声を上げて泣き出してしまった。

 自分自身でもこれからどうなってしまうのか、言葉には出来ないが分かっていて不安定になっているのだろう。

 泣いている視界に倒れた朝顔の鉢が入って自分のしたことに後悔が生まれてきてしまい、「アサガオ、アサガオ倒しちゃった」と今度は壊れるような声を上げて喚き始めた。

 額に汗を掻くほどに泣きじゃくっている。このままではまた高めの熱が出てしまう。

 付きっきりで看ていられるが、辛そうなのは可哀想なのだ。少し落ち着かせなければいけない。


 鳥たちはいなくなり、大きな泣き声だけが温室の中に響き渡った。

 泣き声は聞いている俺まで辛くした。分かっていてもどうしようもできない。出来ることはあってもそれは正しい選択ではない。

 頭の中で反響する泣き声は全身の力を脱力させるようになり、残った無力感が胸を締め付けた。


「アサガオは大丈夫。強いんだよ。パパがきちんと直しておくから、これからもちゃんと育てような」


 俺まで落ち込んでしまうのはこの子の為に良くない。無力感に飲み込まれそうな身体を動かし、自分に言い聞かせるようにセシリアに前向きな言葉をかけた。

 屈んで頭を撫で、額に浮かんだ汗を拭い前髪を除けた。すると胸に抱きつき顔を押しつけて嗚咽を上げた。


 俺はセシリアを一度近くにあったベンチに座らせようとした。しかし、背中にすがりついてきてしまった。

 屈んで丸まった俺の背中にしがみつくセシリアにやりたいようにさせ、彼女が転ばないように気を配りながら、倒れた鉢を直してアサガオの苗を鉢に埋め直した。

 数枚小さく出ていた本葉は千切れてしまい、無事な葉っぱもしおれてしまっている。しかし、幸いにも茎は折れていなかった。

 勢いのある育ち方をしていたので、しばらく薄暗いところで安静にさせれば大丈夫だろう。

 ぶちまけられてしまった土を鉢に入れ直し、苗に直接かからないように水をかけた。そして、光合成や蒸散を起こさせて体力を消耗しすぎないように薄暗いところへ収めた。

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