スプートニクの帰路 第百一話
その日はちょうどセシリアが熱を出さず元気なときだった。色々とあって手をつけられていなかったアサガオの種を植えてみようということになった。
テーブルの上に布を敷いて、その真ん中にアサガオの種を一粒転がした。セシリアがそれを人差し指でつつくと、波に攫われた小舟のようにゆらゆら揺れた。
俺が木槌を持ち上げていると、彼女は興味深そうにまじまじと種と木槌を交互に見た後、「種潰しちゃうの?」と尋ねてきた。
「いんや、違うよ。アサガオの種は殻が固いから芽が出づらいんだよ。だから、少しだけ割ってあげて芽を出やすくしてあげるんだ」
そういうと目を大きく開いて興奮気味に見つめてきたので「やってみる?」と顔を覗いて尋ねると頷いた。
セシリアを膝の上に乗せて、小さな手に木槌を持たせた。そして、小さな手に俺の手を添えながら小さな黒い半月に木槌を乗せて、軽く押しつけるようにした。
「へそを潰さないようにするんだ」
「おへそ!」
ぷちりと音が弾けたので木槌を持ち上げると、種の丸い背中に小さなひびが真っ直ぐに入っており、その隙間から白い中身を覗かせていた。
「これを水につけておけば芽が出るよ。でも、古い種だから出るかな?」
下に敷いていた布を少し深さのある皿に移し、雪解け水を蒸留して溜めてある水瓶から水を持ってきて布にまんべんなくかけた。布は濡れるとベージュからねずみ色に変わった。
薪ストーブから近すぎず遠すぎず、温かいところにおいて蓋をした。
二人並んでそれを見ながら「芽が出るといいね」と言うと、セシリアは「うん」と嬉しそうに頷いた。
それから二日も経つと早くもアサガオの種から根が出てきたのだ。
黒い半月の割れ目を押し広げて、付け根は緑色で先に行くほど細くなる一センチほどの白い根が出ていた。
出てきたばかりの幼い根からは、小さな産毛がふわふわと生えている。古い種とは思えないほどに力強かった。
セシリアは種から根が出る様子を見たことが無かったのだろう。
不思議なものを見るように、そしてほんの少しの不気味さを顔に浮かべながら、その小さな小さな根っこから目を離さなかった。
俺はクライナ・シーニャトチカの廃屋から使えそうなテラコッタの鉢をまたしても失敬して、ウィンストンから予め分けて貰っていた土を詰めて、そこに種を埋めた。
しかし、いつまでも万年雪のヒミンビョルグの山小屋の中で育てるわけにはいかない。やがて大きくなるので外で育てたいが、ヒミンビョルグでは寒すぎる。




