旅路の仲間 第六話
夜が明け、孤児院は鎮火した。そのときにはもはや建物ではなかった。くすぶる煙と灰の中から出てきたのは孤児たちだけだった。
訓練を受けていたので残された孤児たちは全員生き残ったのだ。その後、孤児たちは散り散りになり、各々の生き方をし始めた。しかし、身寄りも何もない孤児たちはほとんどが犯罪に手を染めていった。飢えをしのぐために万引きから始まり、手段はエスカレートしていった。自分たちの力が思った以上にあることに気付き始めると、殺しや裏稼業に手を出し始めた。
来る日も来る日も血を浴びる中で世間を知ると、自分たちのいた孤児院がまともなところではないことを知った。しかし、何年もの間、そうやって過ごしたので、真実を知って受け入れられても、普通になることはなかったし、その異常な環境をいまさら疑問に思うことはなかった。
コートは返り血で日々赤黒くなっていった。着いた血はどれだけ水で流しても、落ちることはなかった。人体から外に出て、持ち主以外に付着した血液は、時間が経てば経つほど乾き赤黒く変色していく。
シリアルキラーというわけではないが、殺し鮮血を浴びることだけが母のような死を回避させてくれるような、そんな漠然とした感覚を覚え始めていた。
浴びた血が乾く間もなく、新たな鮮血を浴びることがほとんどになっていたある日のことだ。
ある依頼による殺害対象である貴族の男が、仲間にならないかと勧誘をしてきた。金満に膨れた汚らしい腹の五十近いその男は、ヘラジカのはく製の飾られている、上品なビロードの絨毯のしかれた部屋へ私を誘導し、まるで上客を迎え入れるようにしていた。
部屋に天蓋付きのベッドがあり、イランイランの濃く甘い香が焚かれていて、それ以外の目的もあることはすぐに気が付いた。
殺害対象の男は、実は依頼主と結託していて、私を仲間に迎えようとしていると言った。タネを明かすにしては早すぎるし、甘言の罠の可能性もあると教わっていた。それを無視して追い詰めると、欲しいものは何でもくれてやると言って命乞いをしてきた。
依頼主から言葉を交わすなと言われていたが、私はそれに答えた。”欲しいものはない。いらないものを捨てることができるなら、安らかな死こそいらない”と。返答を聞いたその貴族の男は黙り込んだ。そのときの顔を見たとき、もはやあるのかわからない心の中が、怒りでもなく喜びでもなく、形容しがたい異形なものにつつまれた。
おそらく、香のせいもあったのかもしれない。わずか数分の間に絶望に突き落とされ、青白く血が引けて頬がたるみ、くまに囲まれ負に満ち満ちた眼光に落ちていく顔を見ていたら、下腹部がうずく様に感じた。吐息は色づき荒くなり、鏡に映る自分の顔は得も言えぬほど紅潮し、まるで熟れてもなお育ち続け自らの赤に焼かれてしまう林檎のようだと我ながら思ってしまった。
死体には、角に見立てた剣を二本差し、鹿に並べて壁に掛けた。
事後報告をする際に依頼主に会うことになった。その人は情報屋兼裏稼業コーディネーターだった。指示のみを出していて、実際に会ったのはそのときが初めてだった。
見た目は家庭教師風の女性で、天から糸で吊るされているかのように背筋は伸び、仕草振る舞いのすべてに上品さがあった。普段は実際に貴族に勉強を教えているらしい。私の前ではテレーズと名乗っていた。家庭教師をするときの名前はテレーズとは名乗っていないだろう。
彼女が私を仲間に迎え入れようとしていたのは事実だった。そして私がその男を殺すことも確信していた。”仕事は完遂されるべき”と。
後日、家庭教師として何事も知らないかのように屋敷に入り、壁に残った鹿のはく製を見たその人は、丸眼鏡の下の目を笑わさずに小さく手を叩いて私をほめたたえた。一言”お見事”と。
彼女は私に仕事と住む場所を提供すると言った。殺した貴族と何一つ変わらないことを言う彼女の話を、私はすぐに受けたのだ。その小さな口から出た『仕事』という言葉には真っ当なものではないという意志が込められていて、これまでよりも血肉の饐えた匂いがしたからだ。ただ、母のような死さえ回避できればいい。それに一番近いような、そんな気がしたからだ。
それからテレーズは共に過ごすなかで私を教育した。
私には才能があると言い、すぐには”仕事”をさせないつもりだったようだ。彼女は日々言い続けた。
“男からすれば誰もが手籠めにしたいと思うほど美しく、女からすれば世の美貌を独り占めしたようなその姿は憎しみの対象です。他に追随を許さない美しさだけではもったいないではありませんか。それも生かしつつ知識もつけ仕事をしなさい”
彼女は極めて普通の言葉を使う。難しい横文字も難解な記号も使わず、ストスリア式の気取った話し方もしない。しかし、それでもどこか威厳があり、力があった。言いつけを守るように私は従った。
そんな私を“素直でよろしい”と褒め、ほどなくしてテレーズは”仕事”へと送り出した。派遣業のような形で私は様々な組織へ行かされた。
最初の仕事のとき、男ばかりのところにたった一人放り込まれた。するとすぐに私をめぐって男たちが殺し合いをはじめて組織は崩壊した。また別のところで、私を凌辱しようとした男がいた。私はその男を殺した。彼はボスだったので、組織はまた崩壊した。一人でも女がいるところに放り込まれたときは、女は私を憎み手に掛けようと策を立てた。しかし、男どもは私を贔屓し、彼らに何かを指示したわけでもないのにその女は瞬く間に姿を消した。そしてまた殺し合いが起きて崩壊した。またあるときは、とある女が私を直接手に掛けようとした。私はその女に自ら命を絶たせたこともあった。
それが繰り返され、派遣された組織はことごとくつぶれていき、最後に残るのはいつも私一人だけだった。そして、いつしか私はカッコウになっていた。
世の中とは不思議なもので、どれだけ不名誉な名前を付けられても仕事が途切れることはなかった。それからも加入しては潰し、加入しては潰しをしていった。しかし、それでも仕事は絶えない。その働きは認められるようなものではないはずだが、テレーズは何も言わなかったし給料も出していた。そして、いつもたった一言”お見事”と言うのだ。
私にはその日々がおかしいとは思えなかった。私にあるべき正しさはこれだと確信していた。もしかしたら、その”お見事”が聞きたかっただけなのかもしれない。
それからしばらくしてシバサキに数年ぶりに会った。彼は勇者になったそうだ。裏の世界に足を突っ込むのも厳しくなったぁと頭をかきながら話していた。テレーズはシバサキにとっても恩人らしかった。その昔、放浪中に仕事をあっせんしてもらえたとか。言わずにもわかる。間違いなく”普通の仕事”だろう。
だが、テレーズ(として)とシバサキと三人で会っているとき、私たちは襲撃を受けた。テレーズがテレーズとしてではなく、ただの家庭教師としてシバサキと会っていれば、襲撃は免れたかもしれない。だが、傍にいた私のせいで彼女はテレーズでなければいけなかった。貴族の家庭教師が、私のような忌み名を持つ者と行動を共にしているということはあってはならない。
犯人はすぐにわかった。薄汚れた鎧についていた傷で擦れて消えそうな紋章には、ヘラジカの絵が描いてあった。それは私を手籠めにしようとしたあの貴族の残党だった。あとから聞いた話では、その貴族は反政府的な活動をしていたそうだ。ベスパロワ家のように反抗しながらもうまく立ち回れない愚かな貴族で、それゆえテレーズによって潰されたのだ。
脳のないカカシはもう踊れない。頭が無くなった後は、考えることすら放棄してしまいただの武装勢力にまで落ちぶれてしまったようだ。
政府も信じる神もいない私には無縁な話だが、彼女は連盟政府の関係者だったということになる。そして、政府にとって都合の悪い組織の排除に、捨て駒である私が使われたのだろう。市民の平和は影と影が喰いあうことで守られるのだ。
私たちのような、どこかの組織の誰かが止められたかもしれない襲撃をあえて起こさせたのは、その貴族を根絶やしにせずこのような状態にしてしまった彼女への懲罰と存在の抹消を目的としていたのだろう。
テレーズは頭脳や話術などを駆使して作戦を行う非戦闘員だ。だから直接的な攻撃には弱い。防戦一方のさなか、なぜか私はシバサキをかばったのだ。理由は分からない。私に家と仕事と知識を与えてくれた彼女を放棄してまでシバサキをかばった。
混乱に悩みつつも、私とシバサキでその武装集団を片付けた。
その結果、彼女は大怪我をした。止血はするも血はなかなか止まることはなく、体のあちこちにできた無数の切創から毎日細くたらたらと血を滴らせ続けた。その苦痛に対処するも、流れ出るそれらが減るとともに日に日に弱まっていった。病床で痛みにあえぎ、血に混じり包帯を黄色くしていく膿に塗れた彼女の姿には、かつての優雅さなど見る影もなくなっていた。
何者かの追い打ちはなかった。おそらく、致命傷であり放っておいても死ぬと判断したのだろう。
テレーズはほどなくして死んだ。
血を失ったゆえに、死にざまは私の肌より白くなり、まるで蝋人形だった。
私以外には誰にも看取られることなかった。もはや人間であるかどうかも怪しい私だけが看取ったそれは、体の筋一つに至るまで精巧に再現された蝋人形なのではないだろうかと思った。
遅れて現れたシバサキと彼女を手厚く葬った。またしても火葬を行った。
正確には、火葬、ではないのかもしれない。質の悪い金属を精錬する炉に放り込んだだけだ。錬金術の普及で斜陽産業となった製鉄は、管理もずさんになり爆発事故が多かった。それでも昼夜を問わず熱を帯び続け、目を焼くほどに輝く炉は、体よく罪を隠すにはうってつけだった。
黄金に輝く海へと落ちていく死体は傷だらけだが、安らかな顔をしていた。しがらみから解放されることを待ちわびていたかのように。
温度の低い異物が落ちたことで起きた炉の爆発と火の粉を、熱気の中で私たちははるか上から見下ろしていた。そのときは死体を焼き払うことに何の疑問も抱かなかった。
過去と魂は業火によって永久に消滅する。過去のない未来もそこで消滅する。立ち上る黒煙が彼女の最後の存在証明。それが収まれば彼女はもともとこの世界にいなかったことになる。
私とも、シバサキとも、政府とも、この世界とも関わりを持ったことすらなかったのだ。
これまでも、これからも。
爆発事故だと騒ぎが起きる中、去り際に黄金の海に投げ込まれた丸メガネは割れ、蔓は融けて消えていった。
前を歩くシバサキの背中を見て、母を思い出した。
かつてシバサキと焼いた母の灰はもうない。テレーズと同じように、過去と魂は失われた。
だが、それから未来を生きる、ここにいる母と同じ髪と瞳を持つ私はいったい何者なのだろう。
それから、居場所がなくなった私はシバサキの仲間になった。
ずっと前からそうであるかのように振舞って。
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話を終えると、ククーシュカは屈みグスリを軽く弾いた。白い手が開くように音を鳴らすと彼女は黙った。
「すご……、失礼なことを聞くんだけど、いつか恩人がどうとかってシバサキが騒いでいたことあったよね? それはもしかしてその人?」
「聞いていたのね。そう。テレーズのこと」
彼女は目を合わさずに応えた。
「ククーシュカ、申し訳ないけど君に死に場所は提供できない。俺はリーダーとして仲間を守ることと、自らを守る指示しか出さない。それでも構わない?」
「構わない。いずれにせよ戦いは避けられないでしょう」
「自ら死に行くような行動は許さないよ」
「なぜ、そんなことをする必要があるの?」
眉間にしわを寄せて、見上げるように俺を覗き込んだ。
彼女の話を聞く限り、かなり危ないことをしてきたようだ。そして、彼女は許されざる罪の中で生きている。これからもそれは消えることはない。
しかし、本当にそんなことをしたのかどうなのか、俺にはまるで現実感のない話なのだ。日本でのうのうと平和に生きていたので闇の深さを知らない。そこがどれだけ危ないのかも。そんな人間が安易に立ち入ってはいけないのかもしれない。
これまでは光の当たらないところで、光に当ててはいけないことをしてきた。しかし、これからは彼女のこれまでとは違う旅になるだろう。
俺は微笑みかけると、彼女は視線をグスリに戻した。仲間入りを認めたことは伝わったのだろう。
それにしても、彼女はなぜここまで話したのだろうか。本当のところ、俺も話を聞くだけで怖いというのが本音なのだ。話せば拒絶されるかもしれないというのも彼女は分かっているはずだ。それも覚悟の上で話したのだろう。
仲間として連れていくならば、彼女の覚悟に俺は応えなければいけない。
しかし、彼女は立ち上がり埃を払うと、覚悟を吹き飛ばすようなとんでもないことを言い出した。
「シバサキの時もそうだった。あなたの家に住まわせて」
俺は耳を疑った。さっき、自分で自分は男が取り合うほどに美しいと評価されたと言ったばっかりじゃないか! まさか、わざとやっているのではないだろうか。
当たり前のように言う彼女を、瞬きを止められずに見てしまった。
「いや、うら若い乙女が十ほども年が離れていない他人の男の家に住むのはどうかと思うけど。それにさっきも美しさがどうとか……ホラ……」
彼女いない歴と年齢が同じである俺には刺激的過ぎる。どぎまぎしてしまった。
「そう。仕方ないわね。また路地裏を転々と……」
「ちょっと待って。今まで路地裏で生活してたの? いや、まぁそんな予感はしてたけど。ダメだって。わかったから。じ、じゃ稼ぎ始めたら独立してもらうまでの間でいい?」
そういうと彼女は小首をかしげた。俺の言っていることがわかっていないようだ。
「なぜ? お金がもったいない。あなたの家にいればお金はかからない。その分をチームに回せる」
「ん? それはつまり君は家賃分の給料を受け取らないということ?」
「そうだけど」
「んん? なんか違う気がするけど?」
「シバサキはそうしていた」
……あのオッサン、最悪だな。やってることは相変わらず無茶苦茶だが、亡骸を葬ったり子どもを見捨てなかったり、少しまともなところもあるかと思ったのに。
ため息が漏れてしまい、手で額を押さえてしまった。孤児院もテレーズもシバサキも、どいつもこいつも彼女に一体何を教えてきたのだろう、と混乱し始めてしまった。
とりあえず、仕方ない。断って路上生活させるわけにもいかない。ため息を吸い込んで、気を取り直した。
「それは弾けるの?」
「感覚でだけなら。母がいたころに少しだけ習っていた……ような気がする」
ククーシュカはまだグスリを触っている。
「いつか、聞かせてよ。仲間なんだから」
ひょっとすると、彼女はその闇の中から光へと手を伸ばしたいのではないだろうか。その闇はどこまで深いのかはわからない。彼女の手の長さよりもはるかにずっと長いかもしれない。そして、自分が光に手を伸ばそうとしていることすら気が付いていないのかもしれない。汚れているからといって、そのまま沈めてしまうわけにもいかない。
もし俺が腕を伸ばせば、闇に沈んだその白い手に届くのだろうか。届くのであらば。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘、お待ちしております。
"最初の仕事のとき~"の部分で、したことの内容を具体的に書いていましたが、残酷描写に引っ掛かりそうなのでカットしました。