スプートニクの帰路 第九十一話
「アタシらに礼を言ってどうすんだよ。感謝するならあのばーさんにだろ。アタシらもアンタらをしょっ引かなくて済んだんだから」
いつの間にか水辺から戻ってきていたストレルカがベルカのチェアに寄りかかり、タオルで手を拭きながらそう言った。
「そういうわけだ。お前ら三人が今、移動魔法でいきなり北公に戻っても、捕まることはないぜ。
プリャマーフカにとって安全なところはエノクミア大陸にはないが、シーヴェルニ・ソージヴァルならちったぁマシだろ。
あー、んで、出来れば閣下とムーバリの上佐殿にゃ一回会って貰いてぇとこなんだが……」
ベルカは片目を閉じて頭を掻くと、試すように見つめてきた。命令にも聞こえる提案に俺は何も答えなかった。
チェアから身体を起こして前屈みになり、肘を膝に付きわざとらしくも結論を先延ばしにするような仕草を見せた。
確かに、ノルデンヴィズにも戻れれば便利だろう。
職業会館裏通りはクイーバウスの零れ水たちが領地の圧政から解放されて堅気が増え、浄化されつつある。
前線基地として閣下がいるそこは治安も以前よりもかなり改善され、セシリアにとっても安全だろう。
胸の前辺りで両手を組み合わせ、親指と親指を擦り合わせて思った。
戻りたくないわけではない。この二人が良いと言うから簡単に戻っていいのだろうかという、罪悪感はあるのだ。
それは女王の誘拐犯だからどうのこうのというものではなく、自分たちのエゴで様々な人たちを巻き込んでいることへの申し訳なさから来るものだった。
腰まで濡れてしまったアニエスはもう自棄になったのか、思い切り水しぶきを上げてセシリアと遊んでいる。
セシリアもアニエスを水浸しにしてやろうと小さな身体を振り回して水しぶきを上げている。二人ともキラキラ輝く飛沫に目をつぶりながらも、楽しそうな笑顔を浮かべている。
二人とも後でしっかり乾かさなければ風邪を引いてしまう。一度、ヒミンビョルグの山小屋に戻ろう。
だんまりの俺の返事で何かに気がついたのか、ベルカは視線を外すとチェアにもたれ掛かった。
「で、そういえば、お前らはオレらがこそこそ尾けてるのを知ってて、オレらからすりゃ待ってたっちゃぁそうなんだが、なんでこの期に及んでいきなり話しかけてきたんだ?」
「人形」
囁いた俺に「は?」と二人とも口を開けて冷たい反応を見せてきた。




